人生を完全燃焼する方法(私の研究室の学生の指導方針)

私の研究室の学生には、進めている研究・探究の具体的な中身を伝えて一緒に議論していくだけでなく、次代の若者が成長していくための「心の構え方(人生を完全燃焼する方法?)」を伝えることもしています。

(1)深めることと広げることの繰り返し: その具体的な施策の一つめとして、4年生から修士1年時に、研究室内の研究者志望者にはできるだけ、海外講演会での発表・国際講演会発表(開催期間は数日から1週間程度)を複数回、経験してもらうようにしてきました。 もちろん、まず、テーマを絞って深く掘り下げ、ある程度の研究成果が出ていなければいけませんが。 そして、その学会開催地付近の広く落ち着いた空間や自然のある場所で、グラスを傾けながら、じっくりと時間をかけて、いろいろなことについて雑談・相談するようにしています。視野を徐々に広げるためです。学会の他の参加者や私の知り合いの方を交えることも多く、そこで人脈が広がり始めることも大切です。なお、博士課程進学者(や予定者)でみると、修士課程が終わるまでに最大5回ほど学会発表しています。研究の質を高め、深めて、成果が出たら、それを発表することで賞賛されて自信がつくと同時に、聴講者から多くの質問・助言・批判・他者の研究情報が来るので、戸惑うこともあります。それらは、その先の研究に進むための「新たな多くの糸口の候補群」にもなりえるので、広い大海原の中に放り出されたような状態になり、どちらの方向へ進むか迷うことになるからです。ですが、他者の研究や助言に引きずられ過ぎず、それらの糸口の候補群をヒントとして、新たな鉱脈になりえるものが見つかり、更に自分の独自の考えを加えることができれば、研究の質を更に高め、深めることになっていくのです。私の若い頃の例をひとつ書くと、「脳、脊髄神経系、内臓の研究を別々にやっていた研究者達の講演をきいているうちに、これらを別々に研究していては生命の根幹的な作動原理はわからない」という考えが浮かびました。脳と脊髄神経系はつながっており、その先に更に内蔵がつながって、そこから発生する信号・情報が脳にいくからです。このことに気が付いた瞬間が新たな分岐点となりました。様々なジャンルの生命医科学の本を買い集めて斜め読みし、熱流体力学を用いた具体的な理論検討をしたことが、「生命のエンジン(大病予知理論)」や「コンピュータのエンジン(人工天才脳)」を生み出す原動力のひとつとなったのです。 

博士課程では更に深めながら、見聞も広めていきます。このような経験は、半年以上に渡る単なる語学留学や単位取得留学よりも価値があることが多いと私は考えています。なお、修士課程の学生さんのほとんどが希望するので、国内学会発表はするようにしており、就職活動の準備にもなっています。大学では、研究を大きな軸としていますが、それを深めて広げることを繰り返す訓練は、実業家を目指す人にとっても重要なのです。

(補足:学外の広く落ち着いた空間や自然のある場所で、100人程度までの多様な研究者達と雑談することの重要性は、私が若い頃、国際高等研究所で開催された複雑系研究会(京都)と宇宙科学研究所の桑原邦郎先生が主催された国際的な野辺山ワークショップ(八ヶ岳)に参加させていただいた際に感じたことです。参加者が数百人を超える大きな学会の講演会では、発表のセッションが同時刻に複数あり、聞きたい講演が重なることが多いのですが、この2つの集まりでは、参加総数は100名程度までで、セッション(発表会場)は一つだけだったので、全ての講演をじっくり聞くことができ、参加者全員からの質問もきくことができました。なので、参加者同士をたたえあいながら、白熱した議論ができた時間でもありました。例えば、1000人の聴講者が参加し、同時刻に20個の会場で発表がある大きな学会だとすれば、一つの部屋には平均で50人しかいないので、会って話をして情報収集できる部分はわずかです。また、数百人を超える大きな講演会場で挙手をして質問するのはやりくい、ことを思い出せば、上記の2つの集まりの意義をご理解いただけると思います。日本の学会の研究会・分科会も人数も多くはなく、じっくりとした議論をしやすい面はありますが、同じ分野の集まりであることが多く、多様性が不足している場合が結構あるように感じてきました。

しかもこの2つの集まりの会場は、天井が高く、東大寺の中のような空間だったので、落ち着いて聞くことができました。さらに、発表のない自由なフリーディスカッションの時間が一日の内の半分くらいあり、フリーな議論ができる部屋も多数ある場所で、そこで、研究の方向を大きく左右する新たなアイデアも浮かんだのです。 そのひとつが、先に述べた「脳、脊髄神経、内臓の研究データ全体をみれば、生命の根幹的な作動原理がみつかるかもしれない」というものです。これ以外にも、このようなゆったりとした空間で、数十名程度の異分野の研究者達の講演を聞いた後のやりとりから、新たな大きな研究ジャンルに挑戦するためのエネルギーを得たことがあります。光物理の学会(財団)からの依頼・招待で、生命基礎医学理論について講演した際、そこで他者の発表を聴講している時にふと、統計流体力学的不確定性を土台とした素粒子理論の研究の着想を得ました.[詳細は、つぶやき・ささやきを参照])

(2)歴史に学ぶ: 二つ目の施策は「歴史に学ぶ」ということについて具体的な話をし、表には見えにくい・しっかりとつながる人脈のつくり方の基礎を伝えることです。「相手に自分の力や可能性を感じさせる準備のしかた」です。

一例をあげると、上杉謙信と武田信玄の川中島の戦いにおける「煙」の話をしています。謙信は信玄が攻めてくる日を予知するために、信玄の城から出る炊飯の煙の量を毎日見ていました。「煙が前日までよりも多くなったときは、その夜に攻めるためのおにぎりをたくさんつくっているためだ」ということを、謙信は、 事前に考えて見出していたようです。 先読みです。その結果、先手を打つことができ、その戦を優位に導いたという話です。なので学生には、現代における「煙という情報」は何かを各自で考えてみよう、と言っています。ただし、「煙が炊飯の煙なのか、火事の煙なのか、焚火の煙なのか」を見誤ったらいけないということを付記しておきます。この戦いの後、信玄が謙信の実力を高く評価したことは間違いないでしょう。アイデアは、仕事のレベルを上げるだけでなく、周囲の方々との絆をも大きく変えていくことになるのです。

「三国志」から学ぶことも大きい。蜀の国には、諸葛孔明という素晴らしい人物がいたのに、何故、魏に負けたのか?この問に対する答えが見つかれば、皆さんがどこに就職し、どこの人達と仕事をすればよいか、がわかるかもしれない。ただ、ここで、私の答は書かないことにします。各自で考えてみてください。

織田信長と齋藤道三が正徳寺で会見した話も面白い。織田信長が二十歳になる以前で弱小だったころ、当時の実力者の一人であった齋藤道三の娘(濃姫)を妻とした後、道三が信長に「会いたい」と言ったときのことです。義理の父親なので、信長は礼を尽くして正装して出席しましたが、会った瞬間、「濃姫は良い嫁でござる。今日の会見で、私の身を心配してくれておりました。」と堂々と発言する場面が、小説(山岡荘八著)にでてくる。その会合の最も重要な事項を、適切に切り出したわけです。その時の会見で、齋藤道三は、織田信長の底力を思い知ったに違いありません。会う前に何を話すかを考えておくことが勝敗を決めるということです。

戦国武将の小説を読んでいると、「自分の人生の旗印」を掲げていたことも印象に残りました。徳川家康は「厭離穢土・欣求浄土」、織田信長は「天下布武」、武田信玄は「風林火山」、上杉謙信は「毘」と「義」、直江兼続は「愛」です。なので、自分も、人生の旗印を掲げてみたい、とおぼろげに思いましたが、学部3年生の頃、ようやくそれが見つかった。「生命とエンジンの融合研究」である。この旗印は、私の人生の青写真(Vision)

「生命の70%が水であり、その流れの中に生命は宿る。なので、まずは、熱流体物理学を深め、その後、心臓と数学的に相似と思われるレシプロエンジンに関わり、それで少しでも社会に貢献できたら、新たな航空宇宙エンジンと新たな生命医学を生み出すことに挑戦する。」

を一言で表現したものとして決めたものでした。旗印を明確にしようとした理由は2つあります。ひとつは、普段から旗印を意識することで自分を鼓舞するためです。スポーツで目標を決めるのに似ています。二つ目は、初めて会う人に、一言で自分の研究内容・スタンスを伝えることが必要になることがあるからです。「生命とエンジンの融合研究」を進めている、といえば、聞いた相手は、あまり聞いたことがないので関心を持ってくれるかもしれない。そこで相手が、「それは何ですか?」と聞いてくればしめたもので、青写真を話すのです。

なお、青写真(Vision)の中の「社会に貢献」について補足しておきます。「新たな技術の提案・確立・実用化に挑戦すること」は自分個人の興味としてやってみたいことですが、それ以上に重要な意義があります。「自分が提案・確立・実用化した技術・商品を、多くの人が使って喜んでくれている姿をみたとき、それが自分の大きな喜びとなる」点です。他者の喜びが自分の喜びになることは、電車等で年輩の方に席を譲った時の自分の気持ちを思い出せばわかるはずです。しかも、社会や組織から自分の評価が帰ってきて、その結果、自分の給与もあがって自分も豊かな生活ができることになる。もちろん、社会の中には自分も含まれるので、自分自身が楽しむことも重要だし、「社会への貢献」は、数年後に貢献できることだけでなく、人類の未来に貢献する、ということも含まれます。その一つがサイエンス(科学)です。このような考えは、就職した後に再会した先輩方との話のやりとりからも強く感じたことでした。

上記以外では例えば、戦国武将の中に、「とことん押してみたけどだめなとき、うまい方法で引いてみる」ことをやった人がいて、それが人間関係や社会を活性化させた事例をみたことでした。「押しても駄目なら引いてみよう」です。まずは押すことが前提ですが。

6つの究極のエンジン を生み出す源泉は、量子統計流体物理学一つで共通なので、6つの種は互いに連動しています。戦国時代、徳川家康は「鶴翼の陣」を張って負けたことがあるようですが、上杉謙信は「車がかりの陣」という強い戦法を持っていたようで、これを意識しています。上記の6つのエンジンが、円形の車輪のようにつながって、それが回りながら次次と討ってでていく、という姿勢です。車がかりの陣の中心軸が、量子統計流体物理学です。

(3)知識をつないで知恵にすること: 三つ目は、どのように知識をつないで知恵にする訓練をするか、です。私にとって最初のこの訓練は、高校生の時、授業よりも半年程前に、「微分積分学を使うとニュートンの運動方程式の解が求まることを自学で見つけたこと」でした。他校で、数学と物理の講義が半年以上進んでいたからです。次は、学部の4年生からM1までの間の”土日”に、熱力学と流体力学のバイブル(Landau&LifshitzのFluid Mechanics, R.ArisのVectors, tensors, and the basic equations of fluid mechanics, L.I.SedovのContinuum mechanics, 巽友正の流体力学、等)の中でキーポイントになるところを「そこそこ」読んで、ある時期に、机の上にそれらをおきながら一気につないで統合し、統計熱流体力学の基幹を整理してノートに記述したことでした。 (なお、平日は、卒論修論の研究です。) それが、「生命のエンジン」の本の真ん中あたりに記載した「力学」の部分(30ページ程度)です。この30ページ程度の記載は、4年生以上くらいでないと難しいと思いますが、理解できれば、かなり多くの熱流体力学の論文や本に出てくる重要な基礎式や理論の基軸となるようにしています。なお、重要なことは、何冊ものバイブルの全てを理解してから統合しようと考えるのは無理があることです。バイブルとは言っても、その中の全ての記載が良い書き方になっているとは思いませんし、そんなことをすると、統合する前に一生が終わるかもしれない。サラッとポイントをおさせることが大切で、これはやろうと思えば結構できるものです。私は、恩師の背中(挙動)をみていて、最大でどの程度の速さでサラッと読めるのか、を把握し、その真似からはじめました。ただし、最も自分にあうと思える本一冊程度は、しっかり読むのも良いと思います。私の場合、LandauとArisは学生時代に完全には理解できない部分もありましたが50%程度を読み、Sedovはエントロピーに関する部分を中心に20%程度、巽先生の本は前半と最後の方の乱流の部分を中心に読みました。 ただし、それから30年経過した今、必ずしも、上記のバイブルを読み返して各自が統合・整理した方がよいという意味ではありません。その時代に応じて読むべきバイブルは異なることもありますので注意が必要です。(上記の4つのバイブルのキーポイントは、私の本の30ページ分に書いたこと以外も、そこそこ、私の授業で講義しています。)

なお、このサラッと全体を見通すというのは、バイブルのような本だけではありません。例えば、研究室内の先輩の論文、引継ぎ書類、マニュアルのヤマなどでも同じです。そもそも、書類が多いと読む気がしなくなって、気力が落ちて、読み始める時期が遅れるかもしれない。そうなると、仕事の期限に間に合わなくなる。なので、まず、書類をサラッと見通して、どこに何が書いてあるのかを把握することから始めます。私の場合、例えば一つの論文について言えば、題名、著者、Abstract、本文中の図表、結論あたりを数分でながめることが多い。もちろん、仕事によっては、サラッと読むだけではだめで、最初から最後までしっかり読まないといけない書類・部分もあります。なので、(先に述べたように)軽重をつけるためにも、まずサラッと読むことが大切な場合が多く、その後、しっかり読むべきところを丁寧にじっくり読むようにしています。

これを繰り返していくうちに、ふと、知識がつながって知恵(アイデア)がでることも増えてくる。そして、その知恵(アイデア)をいくつか繋いでいくことによって、新たな大きな発見・発明が見えてくる。ただしそこで、それに一気に突き進むのか、更に機が熟すまで待つのか、を決断するためには、自分の周囲の状況をサラッとみて俯瞰して、「条件」がそろったかどうかを考える必要があります。なお、「条件」とは何か、については、Professorの最後の「つぶやきとささやき」に記載していきます。

(補足:適切な時期にサラッと全体を見通すことは、文書に限りません。例えば、エンジンを設計する場合、エンジン内部の設計だけでなく、そのエンジンをどこに置くのかや、エンジンの上流と下流に設置する配管系との接続方法も、エンジン内部の概略設計がある程度進んだ時点で、サラッと考えないとならない。その時、エンジンを搭載する移動体や実験室のどこを基軸(原点)にするのか、決めないとならない。これは学部の授業の「設計・製図」で習う「基準面、基準線」に相当します。熱流体力学を含む物理学や各種の設計課題のいずれの場合も、知恵を生むためには、各自が基軸(原点)を設定する方が良いという事です。)

(4)中身に集中すること:四つ目は、先に述べた「よく遊び、よく学べ」に関係し、それを一歩進めた事項です。一言でいうと、「研究を含む仕事の中身に集中する時間をしっかりとつくれるか」です。高校生であれば、将来の不安感につぶされずに、いかに、受験勉強の中身に集中できるかです。大学・大学院生であれば、卒論・修論の研究課題にしっかりと集中できるか、です。M1では、講義もあり、研究もある中で、就職が気になり始め、修論の研究に集中できなくなるケースがままあります。これでは本末転倒になってしまいます。修士課程で仕事の力がつけば採用側は欲しくなる、のです。

希望する企業等に就職すれば不安が減るのでしょうか?そうでもありません。就職してもそこで活躍したい、からです。更に言うと、就職した場所で活躍できても、この問題はなくなりません。この問題は、50歳を超えても全ての人につきまとう。現在の私も例外ではありません。

なので私は、自分の早稲田の恩師の一人が言った「中身に集中しなさい」という言葉を、あえて、今でもいつも大切にしています。これがうまくできれば、おのずと周囲の評価もついてくる。周りばかりが気になると、何も生まれない状態に近づいていくのです。

ではどのようにして「中身に集中していくのか」ですが、私は、その時々で「自分が最も重要だと考えている事を明確にすること」で、段々と、集中できるようになっていきました。目標を明確にする、といった方がわかりやすいかもしれません。例えば、2000年に日産自動車から大学に移る際は、まず、「日産ではやりにくい大きな研究課題に集中するには、大学の方がよい。大学は研究資金は企業より少ないが自由がある。その自由な時間を最大限に生かす。」と考えました。

なお、このように狙いを定めることをしていくようになったきっかけの一つは、私の恩師の一人が「学生を育てることに集中し、自分が教授に昇格することために時間を使わなかった」姿勢をみてきたことでした。教授になること(肩書)にこだわらず、大学教員として最も重要な「研究・教育の中身に集中した」のです。吉田松陰の生き方に近づこうとされた恩師で、MaxPlank賞まで受賞し、10名を超える大学教授等を育てていながら、准教授で退官され、亡くなりました。

私が出会った方々の中に、韓国の主力国立研究所の教授がいます。この教授の父親は、何十年も前に早稲田大学の文科系の学科を優秀な成績で卒業後、韓国の柱となる大学を創設されるまでなされた方だったそうである。 数十年前まで日本の国立大学は、外国の優秀な若者でも入学を許可しなかったため、当時から世界に門戸を開いていた早稲田大学で学んだそうである。この話を聞いて驚き、心が熱くなった。 50年以上前に、早稲田の恩師達が、大学の在り方を先取りしてみせてくれた心意気に感動し、私がその後輩のひとりであることに誇りを感じたのである。 世界の若者達を抱き、静かに見守るという生き方に感謝すると同時に、とてつもない仲間とエネルギーを得たと感じたのである。早稲田大学は、中国からも昔から多くの若者を受け入れてきていて、現在の中国を牽引している方々の中には、早稲田のOBがたくさんいると聞いている。

これを読んでいる早稲田の学生さんたちは、これらのことをよくかみしめてほしいと願ってる。 かみしめることによって、その人の中に無限のエネルギーが宿るからだ。

最も重要なことは、表面的な肩書(大学名や役職)ではなく、中身(生き方)なのである。

人には寿命があります。いくら優秀な人でも体力や思考力を永遠に維持することはできない。なので、人類の発展を願うのであれば、若者・後輩を育てていくしかない。なので、まずは「世の中に貢献しようとしてする仕事」に集中し、それができたら「若者・後輩を育てること」に集中した生き方ができれば、満足できる人生(完全燃焼した人生)に近づけると考えています。その生き方に何等かの意味を感じてくれる若者がいるだろうと思うからです。

人は未来を生きることはできないけれど、未来を若者達に託すことはできると思うのです。

(5)中身に集中できないときに集中するようにする方策

私が、集中できなくなりそうな時、心を落ち着けるようにするためにやってきた方策を少し追記する。一つは、アイデアを出す方法のところでも書いたが、頭の中で混乱していることを、短い文でメモ張などに書きだすことである。頭が混乱している時は、メモに書きだすゆとりがないことが多いと思うが、それではいつまでたっても混乱から抜け出せない。なのでまず、短い時間でもよいので、悩んでいる事、混乱していること、優先順位がつかずにいること等を、サラッとメモ帳に書きだすようにしている。そうすると、頭の中から消しても困らなくなる。メモ帳はいわば、外部フラッシュメモリーだからだ。書きだしてしまうと、頭の中から消しても、メモをみればよいので、少しは、頭の疲れが減って心が落ち着いてくる。そこで次に勇気を出して、メモをよく見て、その中で自分にとって最も重要なことをはっきりさせ、二重丸を付ける。その次に重要なことには一重丸を付ける。メモした項目が多い場合は、優先度の高い順に番号を付けて、その順番に考えて対処していく場合もある。

また、書きだすことと同じくらい大事だと思っている二つ目のことがある。全ての場合に実施するわけではないが、メモした項目の中で自分にとって「欠かせない事項」を明確にすることである。最悪の場合を考え、その項目だけは満足いく状態にできるかどうか、考える。そして、その欠かせないことに集中しようと試みる。「選択と集中」だ。こうすることで、対処策が見つかったことが何度もある

混乱している事項を書きだした後、それを読んでいるとつらくなり、忘れたくなって、破いて捨てる人もいるだろう。それで少し気持ちが楽になることもある。ただ、できれば、それを直視して解決策が見つかる経験を一回すると、その後、何度も対処策が見つかる可能性が高まる。なので、一人で解決策が見つからない場合、書きだしたメモを持って誰かに相談にいくのも一つの方法である。メモを書かない状態で誰かに相談しても、混乱している内容を相手が理解しにくいからである。これが三つ目だ。

メモの整理がそこそこ、進み、ある程度の優先順位付けができたところで疲れて、思考が進まない場合も当然ある。そのときは、数時間程度、リフレッシュするために自然に触れにいくこともある。

(6)聞き耳をたてること

様々な若い人達とやりとりをしてきましたが、その中に、私からの様々なアドバイスに、しっかりと、よく耳を傾ける若者がいました。私の研究室内では、研究テーマごとにいくつかの班に分けて打合せをするのですが、ある学生は、その学生が所属していない班の打合せのやりとりも、かなり、横で聞いていました。また、私が、いろいろな学生に個別に話しかけている際も、その会話を聞いていることもありました。ダンボの耳、です。ですが、これをやりすぎると、自分の仕事への集中度が落ちたり、自分の研究テーマの研究にかける時間が減るので限度があります。ただし、そこそこ、これをうまくやることによって、当然、重要な情報を得る可能性は増加します。ネット上の記事や本の情報は誰もが手に入れられるので、やはり、研究室内(や企業の組織内)等で直接会って話して得る情報は重要です。ですので、私も若い頃は、これ(聞き耳をたてること)をよくやってきました。若い頃は、私も自分一人でアイデアがでるわけではなかったからです。

なお、その中から、重要な事柄をしっかりセレクトして、記憶やメモにとどめ、見定め、光がさしこんでくる方向に進むことが、情報収集すること以上に重要であることは言うまでもありません。重要な事柄は、その人によって異なる場合も多々あるでしょう。

さし込む光の方に向かって行って、まばゆいばかりの光に出会っても、その後も、やはり、周囲の話に耳を傾けることは必要です。ただし、年齢とともに、経験が自分の中に蓄積されると、その自分の中から光が湧き出てくることもある。そうなると今度は、耳を傾ける若者に対して、語りかけることも重要になります。人間には寿命があるからです。

詳細は、Professorの最後の「つぶやきとささやき」に記載していきます。

2020年12月初稿、2021年5月改訂、2021年7月3日改訂、2021年8月18日の改訂時に紫色部分を追記、 「脳、神経、内臓の研究を別々にやっていた研究者達の講演・・・」の紫色の部分は、2021年10月29日に追記。 中身に集中できないときに集中するようにする方策、は2022年1月30日に追記。 聞き耳を立てること、は、2022年8月4日に追記。