■生命進化の歴史に学ぶ1 (Recent Cambrian period I: 2021年2月7日に掲載)
(1)令和のカンブリア紀
私は生命起源や基礎医学の研究にも関わっているものの、考古学に詳しい訳ではないので推測の部分もあるが、どうもカンブリア紀と最近の人類世界が似ているように思う。
なので、カンブリア紀と現代を対比し、更に、カンブリア紀の次がどうなったかを考えてみよう。今後の私達のあるべき方向性が見いだせるかもしれないからだ。
カンブリア紀は今から5億年ほど前に地球上におきたようである。多様な形態の生命が生まれた時期だ。光を感受する細胞が多数集まって、「眼」が生み出された事による情報爆発が原因、という説がある。光の強弱だけでなく、2次元の形の情報が得られるようになったため、生命が他を捕食しやすくなり、それで吸収するエネルギー量が格段に増え、それを原動力として、進化、つまり、多様性を加速したのかもしれない。その結果、他者に食べられない様に、外側に硬い甲羅を持つものが増えたらしい。甲殻類である。他者との間に硬い壁をつくって、自分の殻に閉じこもり、「守ろう」としたのだ。
現代はどうか? 光の有無だけを感受する単一のCCD素子が数十年前に実用化し、カメラの絞りとシャッタースピードが自動化された。その後、そのCCD素子が多数並んだ2次元画像素子のデジタルカメラが普及している。これは、カンブリア紀の「眼」の出現にそっくりだ。更に、インターネットによって、更に、その画像の情報伝達が加速され、5億年前の様に情報過多になって「甲羅のような壁」が増えていると思うのだ。その情報過多が生んだ多様な商品やサービスを「守ろう」という意識が国ごとに急増しているからだ。情報機器と動力エネルギーの両方の分野で。
インフォデミックという言葉で現状を憂える人も増えている。現場にいかずに、ある側面だけからの2次元情報が過多になり、全容を把握できず、しかも、時に恐怖心が生まれ、否定ばかり言う事も増えているのかもしれない。
(2)甲羅と壁がもたらすもの
カンブリア紀に急増した「重い甲羅」を持つ生命は、みずからの動きを鈍らせ、行動を抑制し、結局、繁栄を加速し続けることはなかった。このことを、現代の私達もよく考えてみるべきである。ただし、細胞壁はその後も継続して存在した。つまり、壁の大きさ、厚さ、強さ、が行き過ぎてはならないが、全く壁がないのも良くないのだろう。( この細胞壁は、国境に相当すると考えている。 )
なので、生命の歴史をみると、現代の「守りの壁」も、以前のレベルの状態にもどるべきだし、もどっていくのではないか。
(3)甲殻類の次には何が生まれたのか?
重い甲羅を持つ生命群の後に出てきたもののひとつが、脊椎動物である。「眼」を積極的に生かすためにも、より機敏で効率的な動きができるほうが、他者を捕食しやすくなったからではないか。生命体の中心だけに固い骨格があり、しかも、多数の関節を持っている脊椎動物の運動の自由度が、表面を覆う固い甲羅を持つ生命体の運動の自由度より格段に大きいことは、質点系の力学を考えてもわかるだろう。
だが、それ以外にも有利な面が、脊椎動物にはあったと思っている。それは、私たち人間を含む哺乳類が生まれたことをみるとわかる。この哺乳類は、柔らかな表面をもっており、壁をつくるというよりは、お互いの接触を増やしやすいのである。 これが、お互いを信じ、お互いを許すという思いを増やすことにつながり、より大きな組織で、より多くの多様な「もの」つくりを可能にしてきた。
現代に生きる私たちも、心の中に、「壁」ではなく、他者との絆を重んじる「軸」を持たなければならないだろう。
ただし、大きくなり過ぎた組織は、恐竜のようなことにもなりかねない。なので、生命進化の歴史、生命の研究は、今後の世界全体が目指すべき方向を教えてくれていると思うのだ。(以下に続く)
■生命進化の歴史に学ぶ2 : 太陽系外に行くための22世紀の新動力機構 ( Recent Cambrian period II: 2021年2月11日に掲載)
(1)哺乳類とは別に生まれたもの
それは、空を飛ぶ生き物である。鳥と航空機だ。重い甲羅を捨てて自由に動けるようになると、生命は空をも手にしたのである。
(2)22世紀のエンジン
「令和のカンブリア紀」の後、増える移動体は「電池に依存した後続距離の短いドローン」ではないと考えている。「長時間、空を飛ぶ車」が増え、太陽系の外に自由に往来できる新たな動力源が登場すると思っている。 その具体案のひとつ(Fusine)を既に、私の研究室は提示しているのである。
歴史をみると、技術の発展は人間社会の壁を取り除いてきた。例えば、馬で移動していた時代から自動車・航空機の時代に移行するにつれて、国の大きさが大きくなってきていることからもわかるだろう。
(3)太陽系の外にいくための生命医学研究
「〇〇光年」という言葉があるように、太陽系の外に行くには、光でさえ、年単位の時間がかかる。人が一生の時間をかけて行かなければならない。そのために、私の研究室では、大病の事前予知とその対処法の研究も進めている。
今までに人類は「2つの万能薬」を手にした。1つ目は点滴、2つ目はiPS細胞の技術である。ただ、まだまだ、私達は、自らの体の中で起きていることを知らない。このことは、毎日のように新たな生命分子の機能が明らかにされ、新たなウイルスが出現した際、直ぐに対処できていないことを見ればわかるだろう。長い年月、健康を維持するために、私達はもう一度、原点に帰って、生命の基本原理を明らかにしなければならない。その根幹となる可能性の一つが、私どもが提案しているオントバイオロジー(Onto-biology)と予知理論(Prognostic medicine)なのである。
■水素利用した超高熱効率エンジンとFCV(H-Fugine and FCV: 2021年2月20日)
昨年末に、このホームページをリニューアルした際、過去10年間にデジカメで撮った写真をみていて感じたことがある。10年前のデジカメで撮った写真の方が、最近の性能向上したデジカメよりも、感動が甦る写真だなあ、と思ったのだ。確かに最近のデジカメ画像の解像度と鮮明さなどは進歩している。しかし、どうもみた瞬間の感動が弱い。何故か? 最近のデジカメの画像素子は、人間の眼よりも、感度がかなり高く、人間が見たままの自然な景色よりも「濃い」写真なのだ。なので、人間の脳裏に残った風景像とは違っているのではないかと思っている。
高級デジタルカメラでは、画素数が4000万画素を超えるものが出てきているが、普通のパソコン画面や携帯電話の画面に、こんなに高い解像度は必要ないようにも思う。人にはその差異がよくはわからないからだ。ユーザーより、他社を意識しすぎてはいないだろうか?
ただし、感度や解像度があがった画像素子は、医療画像診断や夜間の自動操縦には良いと考えている。そのための第一歩としてまず、夜間の事故の記録用カメラによって、事故が起きた後のスムーズな処理・対処・補償もなされるのではないか、と考えている。
車も、ドライバーにとってみれば10年前の方がよいのではないかという気がしてきている。数年前、北海道に出張した際、発売されたばかりのレンジエクステンダーのハイブリッド車(シリーズ式のハイブリッドエンジン車)を借りて、新千歳空港から室蘭まで走行した。街中から高速道路まで加速がスムーズで、1.3Lクラスのエンジン+電池だが、2.5LクラスNAエンジン車に近い加速感があった。燃費もすばらしい。ところが、昨年の夏、また、同じ車を借りたのだが、どうも少し加速が落ちている気がする。距離計を見ると6万キロほど走行した車だった。電池が少し劣化しているのだろうか?私の錯覚だろうか?いずれにしても、高速道路での加速が不足している印象があったので、これだと、ヨーロッパのアウトバーンでは物足りなさを感じるかもしれない、と実感した。 しかも、電池交換が必要に感じたが、いくらかかるのだろう?とも思うのである。北欧や中国で、BEVに乗った後、ユーザーがエンジン車に戻るたくなるケースも多いと聞いてきたが、今から5年後、このことを再確認する必要がある。ダウンサイジング型の2L+過給機クラスの車を、また、長い年月、乗りたくなる人が増えるかもしれない。エンジン車をメンテナンスしながら、ECUと触媒だけをバージョンアップして数十年乗る方が、当面は、製造時と利用時のCO2排出総量等が多くならないかもしれない。 そんなことになると、自動車会社の利益が心配にはなるが、BEVでは、車載ソフトの頻繁なバージョンアップが既に始まっているようである。
各種の工場や発電所で、水素(やアンモニア)の利用が増え、FCVのシェアが5%くらいになると、水素の供給場所も増加し、そこから、高効率・高出力の水素エンジン(H-Fugine)が急増する可能性も高まるだろう。エンジンの方がFCVよりも安く、劣化の問題も小さいと考えられるからだ。