つぶやき(Tweet)2021年2月中旬

■やるべきことは脱炭素ではなく、気象変動対策(What we should do: 2021年2月22日AM9時に掲載)

(1)コンデジと携帯電話の融合

上記では、比較的高価格帯のデジタルカメラの変遷について記したが、今回は、比較的低価格帯のコンデジ(コンパクトデジタルカメラ)の変遷についてまず述べる。

この10年間に画像素子が進歩し、それに伴って、厚さが薄くなっていったコンデジが多々あった。何故、薄くしようとしていったのか?携帯電話とコンデジの一体化を目指したのではないか、と思う。薄く折りたためるように進歩させたズームレンズを携帯電話に内蔵し、勝負しようとしいう長期戦略をたてていたのではないか。そう思ったのは、薄くなったコンデジで撮った写真は、あまり写りが良くなってはいなかったからだ。そんなこともあってか、中国の携帯電話のある企業は、多眼の単焦点レンズと複数の画像素子を入れた。最近は、焦点距離18mm、27㎜、135㎜の3つの単焦点レンズと3つの画像素子を入れたものがあり、そこに更に、人工知能を入れて、270㎜の望遠までそこそこの解像度を実現している。この多眼化の方が、結局、薄くしやすかったようで、多眼のレンズを持つ携帯電話は、中国製以外も急激に増加してきている。しかし、値段は10万円を超え、高級デジカメ並みになったが、画像の質は、大きな高級デジカメに届いているわけではない。特に携帯電話のカメラにできないことは、「背景に自然なボケ」のある写真が撮れないことだ。(無理やり、画像処理でボカす機能のある携帯電話カメラはあるが、不自然な写真が多い。)ユーザーが求めるものからずれてきているものがどんどん増えているようにも思う。そして、最近、今度は、米国の大学のベンチャー企業(?)が、微細加工技術で新たなレンズを提示し始めており、今後、また、新たな形態の携帯電話カメラが登場する可能性もある。

(2)電子化・電動化は生産量そのものを増やしてしまうのではないか?

40年前、私がフィルムカメラの一眼レフを購入した時は、「一生に一台の買物をした」と思った。その当時のカメラの年間生産台数は数千台のオーダーだったからである。ところが、直近の10年間、デジタルカメラの年間販売台数は、その頃より数桁(おそらく2桁以上)多いだろう。大雑把に言って、これらの製造に使った電力もその台数に比例していると考えられる。しかも、それらの一部は中古市場にあふれ、それで十分な性能を示している。先に述べた「令和のカンブリア紀の大爆発」である。

このように、電気・情報系の商品は、部品点数が少ないこともあって、目まぐるしく変化させやすく、その開発者と企業はてんてこ舞いになっているようにも感じる。過去20年間のパソコン、テレビ、BEV用のリチウム電池でもそうだった。電子化・電動化は、部品点数を少なくできるため、新規参入もしやすく、思いつきで目新しさを出して、乱戦になっている感もあり、淘汰された企業の数も膨大なはずである。出てきた商品をユーザーが消化しきれないからだ。

この状況は、程度の差はあれ、中古の自動車でも同じだろう。3年程前に、東名高速道路横浜インターチェンジを出たあたりの一般幹線道路に面した中古車販売店で、いくつもの5階建てくらいの巨大ビルの中に隙間なく置かれた車(使用して3年程度しか経過していないピカピカの高級車)の山を見たときにそう感じた。これも「令和のカンブリア紀の大爆発」の予兆である。(注:東名高速道路の横浜インターチェンジ付近は、大変、混んでいるので、そこに行って、中古車の山を見ようとしてわき見運転しないこと。事故のものとなります。)

カメラでも車でも、電池が劣化することともあってか、消費者も、次々と買ってしまう衝動にかられやすいようにも思う。それではいくら、二酸化炭素排出率が3分の1になっても、3倍の台数つくれば、積分値は同じである。1台あたりの二酸化炭素排出量を考えているだけでは不十分であり、電池を使った商品はその総数が増えることも考えないとならない。

女性が中心の断捨離がテレビ番組になっているが、そのうち、男性ものもでてくるだろう。

自動操縦技術が進んできているものの、無人タクシー・無人配送トラックが主になるのはいつになることか、と思っている。仮に技術的・法的にはできたとしても、また、新たなウイルスがでてくること等々考えると、タクシーよりも自家用車が安全だし、電車の方が格段に安い。 人類全体の幸福という視点から考えなければならない。無人配送はできても、トラックから各家庭に荷物を運ぶロボットまで載せるというのだろうか。そこを人が運ぶのなら、運転も人になることが少なくないだろう。無人配送を主にするには、都市の基本構造からつくりなおす必要があるからだ。これらを性急にやろうとすれば、それを実現するまでにどれだけの炭素を排出することになるのだろうか。まずは、 税金を原資とした補助金なしでで、電力を脱炭素にしてからにしなければならないはずである。ものごとの順序の検討もまだ、十分にはできていないのではないか? 30年後にCO2排出が減っても、それまでに膨大な新たな都市建設等によってCO2排出量が格段に増えたら、どうなるのだろうか?

そもそも、ここ数年にやらなければならない最重要課題は、新ウイルス対応であるのだが。

(3)やらなければならないこと

脱炭素化も、実際、本当にそれが意味のある方向に進んでいるのかどうか、よく俯瞰して確認してみる必要がある。やらなければならないのは、脱炭素ではなく、温暖化対策・気象変動対策なのだ。いくら、低燃費エンジンや風力発電等で脱炭素が進んだとしても、生産時に必要な分も含め、エネルギー消費量(ものの生産量)の積分値がこのまま増えればどうなるか、と思うのである。

今日(2021年2月22日)の朝刊に、EVを製造している企業が、多くの電気エネルギーを使う電子マネーシステムを利用している可能性がある、という記事があった。その電気エネルギーがどのように生成されたかについても懸念された記事になっている。問題にすべきエネルギー消費量の積分値とは、「全て」の積分である。(こんなことを直ぐに思いつくのは、30年程前に、流体力学の数値解析法の分野の中で「 解析領域全体の積分補正法」というものを提示して、論文賞をいただいたことも関係しているだろう。)

ただ、人間のこの習性を抑えることは難しいかもしれない。そう思うのは、私自身が15年前、単身赴任でアパート生活をした際の体験に基づいている。部屋にものが多いと整理・掃除が大変だ、と思い、最初、Simple Lifeを目指して、布団と机だけ、のような生活を試みたのだが、風邪をひいてから、体温計・アイスノン・備蓄食料・衣料など、いろいろなものを買わなければならなくなって、ものにあふれた現代的な生活になってしまったからだ。夏冬の衣料を両方買うと、しまう場所まで更に必要になる。そうなると、衣料の虫よけ剤も必要になった。こうなるともう止まらない。大きな洗濯機を買うと置く場所に困ると思い、一人分の洗濯量なので、小さく・安いオシメ洗い機を購入し、それで、下着を洗った。良い買い物をしたと思った。ところが、これはトルク不足で、数か月で回転しなくなったのである。安かろう悪かろうだ。結局、大きな洗濯機を買った。 私も、購入量が増えたのである。 話はこれで終わらない。冬の終わりに、長袖の下着を洗濯し、押し入れにしまい、半年後にまた着ようとしたところ、黄色に変色していたのだ。洗濯機はベランダにおいており、寒かったこともあって、洗剤のゆすぎが不足していたためである。室内に設置できる最新の洗濯機が欲しくなった。

なので、人間にこの習性がある以上、地球外に新たな新天地を探すしかないだろうということなってしまう。ただし、従来型のロケットを低価格化して増やすのでは、また、同じ問題が起きるのである。

■電子情報化、化学電動化の時代から量子・素粒子化の時代へ22世紀の新動力機構Fusine ( From information-chemical technologies to Quantum technologies : 2021年2月25日AM10:00に掲載)

1987年に日産自動車に入社し、13年間、仕事をさせていただいていたので、2000年以降、ポペットバルブを有する従来型エンジンの研究開発は縮小していく可能性を感じてはいた。そのまま、継続するよりも、一度、忙しい仕事の場を離れてじっくり考えてみた方が、エンジンの飛躍的なアイデアが生まれるかもしれない、と考え 、2000年に大学に移った。 大学からのお誘いがあり、 企業でエンジンの仕事を10年程度、そこそこはやって、後輩も育っていたこともあったからである。 なお、大学に移ったもうひとつの目的は、生命医学研究だった。その結果、2005年にはSpringerから、生命のエンジン、という本まで出すことができ、2010年までには、具体的な新たな医学の青写真(Prognostic medicine, Onto-biology)まででてきた。

なお、1987年に修士を終え、日産に入った際は、数値流体力学、という武器を持ってエンジンの仕事を始めた。それまでエンジン性能検討は、主に熱力学でされていたが、ベクトル処理型のスパコンが出始め、エンジン内流動を最適化する仕事が始まろうとしていたからである。その頃から、内部流の乱流遷移現象が解ければ、様々な問題に貢献できるので中心課題のひとつとしてきたが、2007年頃にかなりの問題で解ける可能性を見出した。50年間以上、誰も解けなかった問題だった。 例えば、健康でないヒトの血流が乱流になりやすい、といった可能性があるが、その様相の解明もできるかもしれないというレベルに近づいたのである。

なので、従来エンジンの研究開発よりも、生命医学の研究に軸足を移すことを考えた時期もある。 

ところが、2009年くらいに提案した「新たな次元のエンジン(Fugine,Fusine)」の検討も進めていたところ、その大きな可能性がどんどんと膨らんできたため、現在に至っても、エンジンと生命の研究を平行して続けている。なので、最近、「BEV、風力発電」という言葉を多発する人もいるが、全く、動じない。20年以上前に、トヨタがHEVを出した瞬間から、いずれ、「次はBEVだあ」と言い出す人が出てくるだろう、と推測していたからでもある。原子力等を土台としてBEVがもしも本当に安価に普及する、と判断できれば、私の研究の方向を少し変えるだけだ、と考えてきた。その場合は、研究室の学生と相談しながら、化学反応エンジン(Fugine)から素粒子エンジン(Fusine)と生命医学に少しづつ、重心を動かす速度をあげることになるだろう。

2008年頃、吉田松陰を模範としていた恩師の一人と話していた時、「これからBEVが増えるから、エンジンルーム内の熱の処理のCFDやった方が良い」と言われたので、「HEVがでたときからそういう可能性は感じています。なので、そうなりそうなら、もともとやりたかった航空宇宙用エンジンにシフトするかもしれません。」と答えた。恩師は少しのけぞっった後、うなずいていた。また、2005年頃、別の恩師に「学科名称に航空という言葉を入れようと思うがどうか」と聞かれた際、「ぜひ、そうしてください。次世代のためにも」と即答した。ただし、BEVが数十%になるまでに、水素利用のFCVのシェアが5%くらいまでに増え、そこから、過給機と触媒を持った自動車用の水素の新エンジン(H-Fugine)を急増するのが、価格・燃費・最大パワー等で考えて、多くの人にメリットがあるというのが私の現時点の考えである。大幅断熱+低騒音型高圧縮比で熱効率が大幅アップすれば、今後、22世紀になっても、エンジンを減らす必要はない、と考えている。(注:アンモニアは水素という言葉の中に含めて考えている。)

たまたま、今朝(2021年2月25日)の朝刊に「原子力発電も必要」という記事がでていた。安全性の問題があるので、日本ではなかなか、言い出せない人が多いが、問題は、原子力そのものの問題というよりも、まず、「その安全性確保の技術がどの程度進歩したのか、していないのか?ということ」と、「それを広くフランクに公に説明できるか?」にかかっているだろうと思っている。小型ウラン原子力発電の最近の技術が、どのレベルなのか、が問題だろう。

私自身が、この分野(ウラン原子力)の実用化研究を進めているわけではないので詳しくは知らないが、10年程前におきた東北の大地震後のテレビ報道で、「何故、原発でメルトダウンしたか」といった番組があり、「冷却水の水位計測ができなくなったため」と述べていた記憶がある。自動車の燃料タンクの油面高さの計測が壊れても、エンジンが止まるだけで、即座に異常な反応がおきることはなく、路側帯に避難すれば対処できるが、原子炉で水位計測できなくなるという事態は素人が考えても致命傷に感じた。なお、まだ、素案の段階なのでここに記載しないが、別の目的での更なる安全性確保の方策も考え始めている。

量子化、と言えるものが他にも、いくつも出てきている。量子コンピュータ、量子テレポーテーション等である。量子テレポーテンションについては、2005年に、浜松フォトニクスの関係する財団から招待されて、私が「生命のエンジン(Onto-biology)」について講演した際に、別の招待研究者が「量子もつれ」について講演しており関心をもった。私は、統計力学を意識しながら、熱流体力学(連続体力学)を土台として仕事をしてきたのだが、その後、生命研究を進めるうちに、量子化、についての論文も書くようになっていった。

その基軸として、当然、「不確定性」に関する仕事(Stochastic determinism)も示している。特に、解析領域の境界条件の不確定性についての提案を行ってきており、内部流における乱流遷移の空間的位置と入口境界の状況との関係を明らかにするとともに、生命分子や原子・素粒子の分裂現象について新たな分析も示してきた。そこから、放射線を出さない弱い核反応のリアクタエンジンの提案もしているのである。素粒子化、である。

なので、「機械科学・航空宇宙」という「旗」は、これらの様々な分野に跨って、なんでもやって「久遠の理想」を求めていこうという姿勢をあらわしている、と私は考えてきている。

量子と漁師(Quantum and Fisherman: 2021年2月25日PM14:00に掲載)

ここでは、もうひとつの「りょうし」の話をする。

私の研究室に配属された学生さんの中で、新エンジンの実験を希望する人達には、最初に「実験の際中は、五感をフルに使ってください。」と言っている。実験室に入る際、まず、部屋の匂いを嗅ぐように、と言っている。燃料が漏れていないかどうか、の確認方法のひとつである。燃焼実験準備は複数の人数で行うので、その中の一人が、部品などを取りに行くなどの理由で実験室を出ることが多々あり、また、戻った際に、部屋に入った瞬間の匂いを意識して嗅ぐように、と言っている。一つ目の臭覚である。なお、実験終了時は、一度、部屋の外に出てまた、戻って、部屋の臭いを確認する。毎日やっているうちに、前日との比較ができるようになる。実験中は、エンジン音を良く聴くようにも指示している。ノッキングの有無、を知るためだけではない。エンジン部品の摩耗や部品のゆるみなどを早く、察知・予知するためだ。二つ目の聴覚である。三つ目の視覚はいうまでもなく使うはずだ。四つ目の触覚は、部品の表面性状の確認のためだけではない。皮膚によって大気温度と湿度を認知すると、エンジン性能の日々の変化も把握しやすくなるからだ。

40年程前、私を含む4名の班の卒論テーマは、衝撃波管という実験装置内の高速な気液二層流の実験と理論だった。衝撃波という「分子間距離程度の間で、密度や圧力等が何倍にも不連続変化する現象」を伴う超音速気流を扱う研究である。実験結果に影響するので、毎日の実験前に、部屋の気温と湿度を計測しており、数か月後、翌日の気温があがるか下がるか、ある程度わかるようになったことを思い出す。皮膚による気温と湿度の把握である。このことを恩師に話したら、「そんなことは自慢にならない。漁師が毎日、やっていることだ。」と言われて、納得した。

量子の研究には、漁師の意識も必要だ。

  五つ目の味覚は、実験中はあまり使わない。燃料をなめて、おなかを壊されては困る。 味覚は、実験前にふる活動させて、エネルギーをしっかり充填してから実験するのがよいだろう。漁師さんのように、実験結果を大量に得た後、しっかり、食事をとるのも良いだろう。前の晩に飲み過ぎて、ぼおっとした頭で実験に関わるのは良くない。液体燃料でよく動くのはエンジンだけだ。 補足だが、実験装置の加工をする場合は、加工室にはいる前から、加工作業のことだけを考えるように指示している。

諸葛孔明の「赤壁の戦い」にまなぶ(Sangokushi and photograph: 2021年2月26日AM6:45に掲載)

美しい風景の写真をみると、ストレスが吹き飛ぶ話は以前、書いたが、今日は、写真のもうひとつの可能性について書く。 諸葛孔明は、毎日、風向きを調べて記録していたら、毎年、逆向きに風がふく日があることを見つけた。その知見を使って戦いに勝利したと、小説の三国志には記載がある。そこで、私は、デジカメで毎年、撮影した春の花の開花時期を比べて温暖化を数値化したいと考えた。私が毎年、大学の中庭の写真を撮っているのは「単なる道楽だ」と思った人もいるかもしれないが、私としては、温暖化の現状をサラッと把握したくなったのだ。

APSの画像素子を使ったデジタルカメラを使い始めて10年くらいになる。その間、毎年、同じ風景の写真を撮ってきた。 以下の2枚は「撮ってください」と言わんばかりの美しい場所だ。 理工学術院の中庭に咲く梅であり、2020年と2012年のものである。 このような美しい風景でなければ毎年、撮影する気になれない。

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: nex7-20170208-1024x683.jpg
2012年2月8日
画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: 20210213a-T-1024x678.jpg
2020年2月10日

2つの写真は、ほぼ、同じ日に撮影している。8年間の時間間隔があるにもかかわらず、梅の花の開花の時期に差がほとんどない。去年と今年の写真も比べてみたが、昨年の方が一週間ほど、早く咲いていた。ただし、私の自宅付近のサンシュユという黄色の花を見ると、今年の方が一週間程度、早く咲いている。花と数キロメートルの距離によって開花が違うというのは面白いとは思ったものの、8年間で温暖化の大きな兆候は実感できなかった。10年程度の期間では、温暖化の実態を分析しにくいのだろうか。なお、山形に居たとき、長井市の久保桜という樹齢1000年の桜を見にいったことは本(生命のエンジン)にも書いた。その桜祭りの日には葉桜になってしまっていた。つまり、数十年でみると、温暖化の影響ははっきりわかるのかもしれない。 アプローチは良かったのだが、得られた結果の解釈が明確にできない事例だと思った。研究では、よくこんなことが起きる。若い人は、直ぐに良い成果を出そうとして、最初でつまずくとめげる人もいるが、あきらめてはいけない。むしろ、最初にたてた予測・仮説とは違う結果を得た場合の方が、その後に価値の高い成果をえることがあるからだ。予測したことと同じ結果がすぐに得られるようでは、他の研究者が既に成果をだしているはずだからでもある。セレンディピティという言葉があるので興味のある人はサラッと調べてみてください。

10年程度では、わずかな気温差なのかもしれない。ただし、それに接する海水が持つエネルギーの変化量は気体よりもずっと大きいだろう。液体の密度は気体の1000倍レベルだからだ。このエネルギーが気象変動を起こすのかもしれない。この10年以上の間に、世界各地で起きた大洪水や山林火災等の記事は記憶している。なので、経済的・人的な損失を考えると、気象変動は大きな問題だろう、と感じている。