■来世のために現世を生き抜く(2024年4月16日、7月2日改変)
還暦を迎えた一昨年あたりから、徐々に、来世、についても考えるようになった。
瀬戸内寂聴が話したこと
https://news.1242.com/article/134025
は印象的である。「来世のために現世の修行があると考えれば、苦しいことも受け入れられる」というような内容だと思う。
修行、ではつらい。
私は
「来世で会いたい人がいれば、来世で再会するときのために、前向きな気持ちで、現世で自分を磨いておける」と考えている。
どんな人と来世で再会したいのか。自分の身の回りで「亡くなられた際などに、涙が止まらなかった人」というのが、私の中の定義の一つである。
来世、はないとしても、現世で自分を磨く姿勢を示せば、その姿勢を見た次代の若者達の心のなかに勇気とエネルギーが宿ると期待している。更にいえば、相談、激励、アドバイス等によって次代を育てる努力をすることが「次代に希望を託すという形での来世」を生むのではないか、とも考えている。
■木の葉(2024年4月17日)
昨夏、自然の豊かな場所にドライブして、駐車場に車を止めた。その駐車場の端には、たまたま、たくさん葉をつけた大きな木があり、私の車に木陰をつくってくれていた。CO2排出量を抑えるためにエンジンを止めて、窓を開けた。すると、ふと、何かが私の目の前をよぎり、助手席に目をやると、小さなかわいい形の木の葉がひとつ、舞い降りていた。
私の車の窓ガラスが重力方向に対して傾いているために、無風の時でも、大樹から舞い降りた葉が車室内に入りやすいのだ。
この木の葉の緑色が鮮やかだったので持ち帰ったが、ひと月ほどたってみると、かなり、色がかわっていた。この緑色がなくなる前に、あの駐車場の大樹のもとに戻してあげたくなった。
木の葉は、毎年、生まれ変わる。
木の葉には、毎年、来世が来る。落ちた葉の成分が、その木の根に吸われ、水とともに枝まで運ばれていくからだ。
人間にも来世はあるはずだ。
人間も木の葉も、5種類の塩基と20種類ほどのアミノ酸と水、からできているのだから。
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■4つの来世(2024年5月15日初稿、26日改変)
前月半ばに、来世についての私の考えを記した。少し視点を変えて整理してみると、来世のための準備の形は3つある。
(1)一緒に生活している家族や仕事の仲間との関係:瀬戸内寂聴が言ったように、来世のための修行という側面があるかもしれない。
(2)次代の若者達との関係:相談、激励、アドバイス等によって次代を育てる努力をすることが、「次代に希望を託すという形の来世」を生む。これは自分自信の生きがいにもなりえる。どのような仕事をしていても、どのような社会に所属していてもできることだろう。
(3)来世で再会したい人がいる場合:来世での再会の準備として、自分を磨き・鍛えることで、現世を充実して生き抜くことができる。若者達も、その姿勢を見て、勇気とエネルギーを得るだろう。
「4つ目の来世」は、
孫との関係
である。孫とは、ときどき会うだけで、幸せな気持ちになれるであろう。自分の生まれ変わり、と感じることもありえるから、来世そのもののように思えるかもしれない。
ただ、健康な状態にいる人間は、「日々、様々な人達と時間を共有しなから、常に苦しい思いの中で、本能的に、前のめりで体当たりして生き抜いていかざるを得ない」と私は考えている。
■「還暦後の新たな人生」という「5つ目の来世」(2024年5月23日、6月21日改変)
還暦、は文字通り、二度目の人生の出発点である。60歳を過ぎた「自ら」は「5つ目の来世」といえるだろう。
職場、宗教、等の枠の縛りから解き放たれて、新たで自由な世界に放り出されることが増えるのかもしれない。還暦を過ぎると、子供は一人だち状態に近づくし、孫だって自分の意志で動き出す。それらも、新たな世界に踏みこむことを助長するかもしれない。
私は一昨年、還暦の節目を迎えた。還暦前までと比べ、いろいろな面で変わりつつある、と感じはじめている。毎日、グランドピアノがある部屋に行くようになったのもそのひとつである。10分程度でしかないが、そこでその日を生き生きと過ごすためのエネルギーをいただいている。
新たな趣味、ボランティア活動、学生時代の知人との再会などで、新たな世界に入ることも良いのだろう。
ただ、還暦以前の人達との繋がりが薄まるわけではなく、維持・発展させた状態に、「新たな2つ目の人生という来世」が添えられるといった形が多いのかもしれない。
■グランドピアノの天板を開いて(2024年5月24日初稿、6月3日改変)
数日前から、グランドピアノの天板を開いて弾いている。鍵盤の打ち間違えはほぼなくなったので、今度は、音色をしっかり聞きたくなった。天板を開けて弾いた際に放たれる音は素晴らしい。
還暦を迎えたら、みずから、自分の人生の天板を開くチャンスである。心の扉を開けば、苦しいことやつらいことを遥か彼方に消しさり、「5つめの来世」を豊かにできる。
大隈重信は人生125歳説を提示していたようだし、健康寿命が100歳になる可能性が出てきているようなので、そうなると、還暦後の5つ目の来世は40年間以上になる。。。心の扉を開いてストレスフリーに近づくと、元気な長寿を得られるのかもしれない。
孫も、「還暦を超えた祖父母が、5つ目の来世を謳歌し、元気で長生きする姿をみていたい」と思うだろう。
私は、孫に「おじいちゃん」と呼ばれたくもない?! 生涯、青春である。そうあり続けるために、着実に鍛え・磨き続ける。
■五輪の花と五人家族 (2024年6月18日&22日)
考えてみると、初夏から真夏(5月~8月)は、自分の人生にとって、心を揺さぶる重要な経験が多かったように思う。
42年くらい前、学部3年生の初夏は人間関係に悩んでいたのだが、山岡荘八の書いた歴史小説「徳川家康」に出会い、のめり込んだ。単行本で全26巻になるこの本は私にとって人生のバイブル、と言っていい。冒頭で、家康の生母、おだいの存在に感動し、中盤では、石川数正の自己犠牲が社会を生き返らせることも学んだ。読み終わった直後は、何故、家康の東照宮が日光なのか、が気になり、調べたこともある。江戸から日光を直線で結ぶと、その先に不動の守護星である北極星があるからだ、という説に出会った。その北極星と江戸の間で、しかも、日本の中央に位置する日光が日本を守る、ということらしい。私達は皆、つらい時、苦しい時に、星を見て心のやすらぎを得、星に願いをかける。そのことを思ったら、日光に設置されたことについて自然な共感が芽生えてきた。戦国時代に熱く生きた人達の生き様に触れ、少し大人になり、自分に少しづつ自信が付き始めた。だが、3年後のM2の初夏は、就職先とその後の人生について、深く悩み、考えることになったのだった。。。。。
32か33歳の頃(30年ほど前)だったと思うが、ドイツの大学に招聘され、3か月間(6-8月)、アーヘンに単身で行って滞在した際にも、自分の内側の世界が広がる様々な経験をした。ドイツの食事があわず、食が仕事(脳・精神状態)に与える影響の大きさも実感した。その際、私の世話をしてくれたドイツの親友とは、かれこれ、40年近い付き合いになっている。
考えてみると、20年位前、10年くらい前の初夏から真夏も、大切な節目の時期だった。
20年くらい前は、米沢で自然のエネルギーをいただき、生命とは何か、という問題に対して重要な一里塚となる成果を得て、いくつか論文を書いた。
12年前の2012年6月18日には、ドイツの親友の家に招待され、その家族が夕食の準備をしてくれている間、その庭に咲いていた五輪のペチュニア(アサガオ)の絵を描いた。その親友に「食事の支度の間に、絵でも描いていてくれ」といわれたからだった。
私にとって大切な人の家族は五人であることが多いという思いも浮かんできた。その親友の家族も五人(五輪)だった。亡くなった恩師の家族もそうだったし、私も三人兄弟なので五人家族だった。。。。。
この頃、飛躍的な性能のエンジン(ほぼ完全な断熱で、かつ、燃焼騒音レベルを上げずに圧縮比/圧力比を上げられる原理)の特許を出し、人の脳に関する研究成果も発表したのだが、それらをドイツの恩師に見せたところ、興奮して感動してくれたことを思い出す。「どのようにして、そんなアイデアをいくつも思いついたのか?」と聞かれ、英語での返事に困ったことを思い出す。
10年おきに、何か来ている。
昨夏は、還暦後の40年の方向を探る貴重な数か月となった。もうすぐまた、暑く心を揺さぶる真夏がくる。カルノーサイクルの高温時のような。。。その後の秋は、断熱膨張行程で実り(仕事・成長)を得るであろう。真冬の低温時までしっかりと。。カルノーサイクルのように、今年の夏が熱いほど、そして、冬が寒いほど、熱効率は高く、実り・成長も大きなものとなるはずである。
熱効率η=1 ‐ [TL(最低温度)/TH(最高温度)] であり、高効率は同時に、高出力をも意味するからである。
そして今冬から次の春までは、カルノーサイクルでいうと低温時の圧縮期間であり、来夏のための準備期間となる。エンジンには周期運動サイクルがあり、生命には輪廻があると言われる。
人生はエンジンである。
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■孫は来世か?(2024年6月22日)
4つ目の来世?、つまり、自分にそっくりな孫について、ふと、気が付いたことがある。孫と還暦を迎えた人は同じ時間を過ごしていることである。つまり、孫は来世の姿ではない、ということだ。700年後に生まれ変わった人のことを検証した本を、ごく最近、知ったからである。
現世で経験したことの記憶が次代以降のDNAに組み込まれる可能性があるという研究もあるようだし、生まれ変わる、という推測は、今後の100年位の間に、科学的に解明される予感がする。
だから、「来世のために、現世で自分を磨く」のは、空回りではないと思うのだ。私達は、過去の常識から脱皮すべき時に来ている。
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■青春(2024年6月24日)
我が成長のために、真に時間に耐えうるものを求め
愛すべき僕らみんなの未来のために、叡智を尽くし
孤高の魂を謳歌して、来世のために現世を生き抜く
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■ピアノという生命(2024年6月28日)
この半年ほどの間に、ピアノで2曲、弾けるようになった。一つ目の曲は、若い頃に分かれた後、奇跡の再会を経て夢がかなうドラマの主題曲である。二つ目は「久遠」を連想させる曲である。主な練習は毎朝10分程度、自宅の小さな電子ピアノでしてきた。そこそこ、弾けるようになってから時折、3種類のグランドピアノで弾いてきている。3つのうちの2つは、Y社のGシリーズ、と、Cシリーズ だが、同じメーカーでも音質に大きな差異があることが弾いてみて初めてわかった。Gはうっとりするようで包み込むような音色、Cは若々しく高音がつややかな音色に感じた。ピアノにも個性がある。(Gシリーズは、人工心臓の研究をされてきた先生が、数十年前の退職時、職場に寄贈されたものである。)3つめは、Viregeというピアノである。
ピアノという新たな生命に毎日会い、10分程度だが、そこで私はピアノと会話をし、ピアノから力をもらっている。。。
■来週の数日間は大自然の原野の中(2024年6月28日)
大自然の澄んだ空気を突き抜けて、天の川と北斗七星の輝きがみえるかな?
■脳と体の鍛えなおし(2024年7月4日)
先日、仕事で、東京と北海道間を新幹線で移動した際、3か所で、駅ピアノを弾くことができた。ひとつは、K社製のグランドピアノ、もう一つは、Y社製のグランドピアノG2とアップライトピアノだった。これらもまた、個性があった。しかも、駅は天井が高く、広い空間があるので、音の反響が良いこともわかった。
駅だけでなく、あちらこちらにフリーで弾けるストリートピアノがあることもわかってきた。これらを弾いて脳と手先を鍛えながら旅をすることも楽しそうである。
体の方は、数週間前からオートテニスを減らしたが、代わりにテニスコートでの鍛えなおしにレベルアップしている。
■山形のラフランスとデンマークの食材に学ぶ(2024年7月4日)
2000年から5年間、米沢で生活していた間に、ラフランスをたくさん食べた。東京では高価な果物だが、山形では大きさや形などがふぞろいのまま、スーパーで山積みにして売っているせいか、かなり安いからである。もちろん、その味は素晴らしい。この経験は私に、「美味な食材で多くの人達を幸せにできる」ことを教えてくれた。山形では、これ以外にも農業牧畜や食について学んだ。
2010年頃、デンマークに学会発表に行った際、その飛行機の機内食で「この世の食べ物とは思えないほどの素晴らしい味」に出会った。この経験は私に、今後もまだまだ、新たな食・大進化した食が生まれる予感を与えてくれた。
この2つの経験を元に、次代の多くの人達を幸せにする新たな食の研究(7つ目の仕事)を始めた。古今東西、食の不足は争いのもとだからだ。
■来世における再会の目的(2024年7月6日)
以前、「来世で再会したい人がいれば、前向きな気持ちで、現世で自分を磨いておける」と記した。ではなぜ、来世で会うのか。会いたいから会うというより、再会して協力することで、社会の発展と平和への貢献が更に加速できる。
■3曲目(2024年7月11日)
2月から独学でピアノの演奏を始めて、4か月程度が経過した。3曲目は一週間程度でほぼ弾けるようになった。来週の月曜日の11時半くらいにグランドピアノのある学内の部屋で小さな演奏会をする。。
■超長期的視点(2024年7月12日)
数年前、このHomePageを書き始めた頃、時計の短針と長針のように、2つのタイムスパンで目標を持つべきだ、と記した。研究でいえば、数か月から1年程度の時間に確実に達成する短期目標と、数年から10年程度の大きな長期目標(夢)、である。
この数か月間にここに記した「5つの来世」は、長期的目標(超長期的目標?)のためのものと言える。
■還暦後の教会(2024年7月12日)
私は無宗教だが、海外出張した際は様々な教会を訪れてきた。昨年、都内の大きな教会に行ったことがある。たくさんのステンドグラスから入る光が、部屋の中央に集まるように配置された美しい教会で、日曜日の礼拝には、多くの国の人達が来られていた。大きな教会なので、高齢の方々の集まりが別に設けられてもいて、多様な視点から、寛容なこころで、人々を見守っていると感じた。
■靴と紐(2024年7月12日)
今日は一日、古くなったもののトラブル対応に追われた。製造から20年程度経過した愛車のドアのオートロックが効きにくくなって、ディーラーに持ち込んだ。明日の夜まで車は使えない。
歩いていると、10年程度履いた夏用の靴(かかとを押させる部分もついているサンダル)の底がいきなり外れ、はだしで歩くことになった。足の裏が黒くなり、ガラスの破片でも踏んだらどうなるか、と不安になったところ、ふと横をみると郵便局。局員さんに泣きついて、古くなったスリッパかなにかないか?と聞いたところ、郵便物を縛る紐をくれた。わらのような茶色の細い紐である。文字通り、藁にもすがる、だ。ところが、この紐、なかなか頑丈で、家まで帰ってこれた。まだ、結構、履けるかもしれない。
私は60年を超えたわけだが、体を鍛えて、ミオシンとアクチンの紐を新たに加え、あと、40年、元気でいようとしている。
■超長期的視点の書き直し(2024年7月16日)
7月12日に書いたことを思い出していたら、ふと、更に気が付いたことがある。短期目標、長期目標、超長期目標という3つは、時計で考えてみると、秒針、長針、短針に相当するのではないか、ということである。
秒針と長針の時間スケールは60倍、長針と短針の時間スケールも60倍である。仮に、時計の一秒が、人生の一年に相当するとすれば、長針は60年でちょうど還暦に相当し、短針はその60倍なので、3600年になる。これは6月22日に書いた「来世までの時間(700年)」に近いオーダーである。。こじつけだろうか。
いずれにしてもやはり、人生は3つの針で考えていくべきではないだろうか。そうすれば、還暦後の人生を更に活性化でき、人類の進化と発展を加速できるからだ。
3600年くらいは、生命誕生から現在にいたる進化や宇宙の始まりから現在までの時間に比べ、10万分の1以下の短いものである。眠っていれば、3600年など、あっという間のことだろう。
■ベガ(2024年7月18日)
七夕を過ぎて11日目になる。ふと、七夕の日に会う織姫のことが気になり、ネットで調べてみた。
織姫星は、こと座のベガ、という星である。私の父親が母親のことを、ベガ、と呼んでいたことを思い出した。父は、母を、織姫、と呼んでいたことになる。毎日、一緒に生活しつつ、毎日を、七夕にように思って大切にしていたのかもしれない。
更にネットで調べてみると、この星(こと座のベガ)は、1万2千年後には北極星になるらしい。天空の基軸になるということである。
私達の来世が3600年周期で繰り返すとすると、来来来世あたりのことになる。。。
なお、私の名前は健であり、生まれたのは牛どし、つまり、牽牛(健牛)である。。。
彦星、だ。
■北極星としての父(2024年7月19日)
父は、織姫星を母、彦星を私、として、毎日が七夕、と考えて生きてきたのかもしれない。。。だとすると、父は天空の基軸、つまり、北極星、のようである。
けれど、北極星も永遠に基軸ではなく、1万年後には不動ではなくなる。90歳を超えた父もまた、永遠の生命を持っているわけではない。。。。。
■だからこそ(2024年7月21日)
だからこそ、私は、織姫星と彦星を含め、はるか彼方の星々に楽に行けるエンジンの研究を進めている。放射線を出さない原子核反応エンジンである。そのエンジンを搭載した機体で長い航行をする間には、健康を維持できないとならない。また、その星々に住む生命が、5種類の塩基と20種類のアミノ酸で構成されているのか、知りたい。だから、生命医学研究を進めている。
私達は、なつかしい故郷のような星々を追い求めている。。
■家族(2024年7月27日)
私達は皆、果てし無く広大な宇宙という森の中で生きる家族なのであろう。。
■新神戸(2024年8月1日)
数日前、急用で新神戸駅に行った際、そこにあった駅ピアノを弾いた。神戸は夜景が美しく、異国情緒もただよう街なので、そこのピアノが奏でる音がどのように駅に反響し、景色と呼応してくれるか、楽しみにしていた。ところが、この駅では、常に、新幹線の切符の買い方のアナウンスが流れていた。低音の声で、「お支払いはクレジットカードか現金で・・・・」といった内容であった。おいおいおい、である。。。しかも、そのアナウンスの音声が大きい。駅にあるものの全体を把握しないからこうなる。。。駅ピアノをおくのであれば、少し考えてもらった方が良い。いまどき、クレジットカードか現金で、なんてことは、言われなくてもわかる。クレジットカードかXXペイのみ、であれば、ピアノを無くして、そのアナウンスだけにするのも理解できる。
■教員にとってのうれしい言葉(2024年8月2日)
私の大学院の講義では、覚える知識ではなく、考える力をつけるための問いかけと議論が中心である。
先日、大学院の前期の講義が終わるとき、私のところにきて、「内藤先生は後期の講義、されないのでしょうか?もっと、先生の講義を聞きたいのですが。」と言われた学生がいた。この問いかけは、私が教員をしてから24年ほどの間で初めて受けたもの、であった。これに勝る嬉しい評価はない。(この若者は、私の研究室の外の学生である。)
「大学院を巣立った後、社会では、講義はしてもらえない、と思った方が良い。自分で問題とその答えを探す姿勢をつけるため、修士の後半にも、博士課程の学生にも、講義はほとんどない。」というようなことを答えた。「ただ、たまたまだが、○○さんの就職担任だから、必要ならば、後期の学部生のための講義の直後に教室にくれば、かなりの確率でいるよ。休み時間にでも議論しようか。私のHPのつぶやき・ささやきを読んでいけば、講義の代わりにもなる。」とも答えた。
■何故、つぶやき・ささやき、を書き続けるのか(2024年8月3日)
そもそも、このHPを書きはじめたのは、新コロナウイルスの為に、教場講義ができなくなり、学生達に寄り添ったやりとりが不足したためである。オンラインの講義では、学生の顔が見えないので、ジョークも飛ばせなくなった。何か、私が学生達のこころをやわらげるようにできないか、と思ったからである。
ところが、これは、学生達にとって予想以上の効果があったように感じている。それは、研究室に配属された学生達の表情を見てもわかったし、学生達が私に以前よりもずっと近寄って悩みなども話すようになったことからもわかった。
もちろん、学生達のためだけではなく、社会全体への情報発信という意味もある。
ただ、もう4年も書いている。何故、まだ、継続して書いているのか?世の中の状況が変化するので、それにつれて書くことはいくらでもある、というのが理由の一つだ。他には、自分の考えも日進月歩で進化している、というのもある。
考えてみれば、このHPを書く前、人と会ったときはできるだけ、自分の考えをざっくばらんに伝えて来た。今は、それに加えてHPにできるだけ真意を書き続け、出会った方々との相互理解を更に深めようとしてきている。理解が深まれば、必ず、お互いに豊かな心と先を照らす案が生まれ、それが社会貢献になるからだ、と私は断言できる。
ひとりひとりには「能力がない」としても、真摯なやりとりを楽しめば、必ず、「能力」と「明るい解決案」は生まれる。
繰り返しにはなるが、書き出すことは、自分の考えの整理にもなり、さらなるアイデアを生む源泉だからでもある。
日々の呼吸と同じ、だ。。。
■暑い真夏(2024年8月4日)
このひと月に、私の車に設置された「大気の温度計」が40度を4回超えた。昨夏以上である。眩しい日光がいとしい。
40度は超えなかったが、先日、風邪をひいたので、医者にいったら、たくさん薬をくれた。ひとつは、カルボナーラに似た名前の薬、二つ目はアストンマーチンを連想させる名前の薬、もう一つはトラネコのような名前の薬である。更に、解熱剤ももらった。熱も出て頭がぼーっとし、4種類もある薬の錠数を間違えするのではないか、と不安になったので、薬にノックネームを付けたのだった。特に、カルボxxxは長細い大きな錠剤で、マカロニスパゲッティのような形状だったので、覚えやすかった。
おかげで3日ほどでほぼ元に戻っている。私が幼少の頃の薬に比べると、よく効く気がする。。
■ごはんが小分けされたお弁当(2024年8月5日)
この暑い時期は、お弁当が日持ちしない可能性が高まる。なので、炊いたご飯を、数センチごとに軽く仕切ると良いと思ってきた。空冷エンジンでも、冷却フィンが凹凸に張り出されているのは、冷却効果のためだが、炊いたお米も同じだろう。表面の凹凸で総面積も増え、水分蒸発効果もあり、サラッとした食感も良い感じだ。仕切られていると食べやすいという利点もある。
市販のお弁当だと、昔から、K陽軒のS弁当のごはんが区切られているので、新幹線に乗るときは良く買う。。
こんな風に気が利いたお弁当からは、たくさん元気をもらえる。。
■真夏の日(2024年8月8日)
7月7日は七夕だが、8月8日は、さしずめ、真夏の日、といった数字の並びのようである。都内の道路が大渋滞だった。。
■葉っぱの日(2024年8月14日)
いや、8月8日は、葉っぱ、の日だと気が付いた。生まれ変わった木の葉(4月17日に記した木の葉)の兄弟達が、眩しい日光をあびて大きく成長したことを記念する日である。。
■3つめが4つめを生み出す(2024年8月28日)
基礎的な生物学の教科書を見ると、「DNAと酵素という2種類の分子があれば、そのDNAと酵素は増殖し、生命維持がなされる」と読めることが多い。これは定性的には正しいと思うが、正確には「2種類の分子だけではなく、もう一種類、別の酵素(3つめの分子)が加わると、完全合成され、生命維持できる」と記すべきである。つまり、DNA+2種類の酵素→生命維持、である。(2種類の酵素とは、DNAポリメラーゼに代表される情報分子合成の酵素群と、リボゾームに代表される機能分子合成の酵素群の2つのことである。詳細は私の論文を読んでください。例えば、Ken Naitoh, J. of Artificial Life Robotics, 2008, 2010)
生命分子だけではない。ヒトの個体の増殖でも、雌雄という2種類だけでなく、その間を取り持つ3種類めの生命が重要な役割をにない、それが、次の世代(4つめ)を加速して生み出す。3種類めの例としては、共通の友人が間に入って仲を取り持つ場合もあるだろう。人ではなく、花束、木、木の葉のような生命が、仲を取り持つ(加速する)こともあるだろう。。
「花束はわかるが、木の葉?」なんて言ってはいけない。葉書というものがあるくらいだから、遠い昔は、文字を書いた葉が仲をとりもっていたのかもしれないのだから。。
葉っぱ、だって、「共通の友人」と同じくらいのナコード役になりえるだろう。。
■3:2付近の比(2024年9月2日)
私が提出した最も重要な学術論文は、「生命分子・細胞・個体に、黄金比や白銀比等の3:2付近のサイズ比(約1.5)が多くみられる理由を、統計流体力学で説明したもの」である。(例えば、著書「生命のエンジン」に記載。)
中学生の頃から、自分の髪型の左右の分け方にも3:2(約1.5)を用いてきたことを、ふと思い出した。七三分け(7:3分け、約2.3)はよく使われているが、これは、2:1と3:1の間にある。これだと、私の場合、おでこの端の広い部分がでるので、禿ているようにみられると思ったからである。
今後、3:2の反対、2:3でわけてみようか、と考えている。3:2で分けていると、2,の側に髪の毛が少ない部分があり、それが強調されるからである。
キラルな分け方だ。。
■館林(2024年9月8日)
今日は、家の用事で群馬県の館林に行った。ここには、100年程前に製造された駅ピアノがあった。象牙の鍵盤が黄色くなっていたものの、音はしっかりしている。今までに10か所ほどでピアノを弾いたが、年代物のピアノの方が、自分との一体感があり、音に深みがあるように感じる。(出会ったピアノのある場所は、仕事場、要町、池袋、練馬、日本橋、田町、調布、埼玉県に3か所、函館、登別、室蘭、神戸、館林、である。)
練馬から高速道路で行ったが、久喜の少し先からは制限速度が120㎞/hとなっているようで、30年程前にドイツのアウトバーンを走ったときのことも思い出した。
■伊能忠敬(2024年9月11日)
私の恩師のひとりが、「60歳還暦になり定年を迎えたら、その後は第二の人生だ。新たな挑戦をする。」と言っていたことをふと思い出した。「定年後の新たな挑戦、体力的にできるでしょうか?」と素直に聞いたところ、「伊能忠敬、を知っているか?60歳くらいから、日本地図をつくることを始めた人だ」という返事がきた。
このやりとりを恩師としたのはまだ、私が50歳になる前だったと思う。伊能忠敬のことを聞いてもピンとこなかったのだが、そのやりとりが頭の奥に残っていたのか。それが「自分を鍛えて、5つ目の来世を謳歌し、7つめの仕事(新たな食の探求)で社会貢献する」という考えを生んだのかもしれない。
この7つ目の仕事の起点はしっかりしているつもりだが、その実現に向かうには、チームづくりが必要だと感じている。
■ローマの休日??(2024年9月14日)
数十年前、「ローマの休日」をもじった「老婆の休日」という落語をカセットテープで聞いた。私の母親のかたみのひとつである。今は、YouTubeの動画(桂文珍 老婆の休日}で聴くこともできるようである。登場する年配の男女?の会話はなかなかほほえましく、自分が年を取って引退したらこんな風な気持ちでいられればよいなあ、とも思う。
伊能忠敬や恩師のように、還暦後の第二の人生(5つめの来世)に7つめの仕事を目指し、でも、かないそうになければ、それは3600年?後の来世の準備だったと考え、95歳あたりからは、その日その日のたわいない会話を友人達と楽しむのか。。
最近、BEVが頭打ちになったり、大規模の新規開発計画が中止になったりする記事が氾濫している。おおむね、4年程前に私が予測してHPに記したとおりになっていて、BEVについて私が書く必要はなくなり、私のエンジンも着実に進んでいるので、還暦後の40年について書いている。
それにしても暑い。。40年後の夏は何度になるのか。。
■言葉(2024年9月15日)
ふと、木の葉(このは)と言葉(ことば)が、発音でも似ていることに気が付いた。木の葉が舞い降りるたびに、木の葉は、なにか言葉を伝えようとしているのではないか。。
昨夏、私の車に舞い降りた木の葉は、何を伝えようとしたのだろうか。。
そんなことを考えていたらまた、別のことを想いだした。40年くらい前、私が所属していた学科(機械工学科)の先生のひとりが、「森の中で、樹木と樹木は何か会話をしているのではないか」と考え、その研究をしていたことを思い出したのである。その先生は、「雑音?の少ない山形の森林に頻繁に行って、樹木たちの会話を聞こう(計測しよう)と努力した」と聞いたことがある。
■4曲目(2024年9月15日)
今夏は、私的な面で忙しかったこと、暑すぎて頭がしっかり働かなった日が結構あったこと、テニスクラブでの練習、等のために、ピアノの演奏は3曲のままだった。3曲中の2曲は、XJAPANの「Forever Love」と「 Without You」である。
ようやく4曲目も始めた。XJAPANの「Longing:跡切れたメロディー」である。。まだ、右手だけだが。。
■両手で4曲目(2024年9月17日)
初級者レベルの楽譜でだが、「Longing」を両手で弾けそうなところまできた。新たな曲を、グランドピアノで弾く度に心が満たされる。
そろそろ、中秋の名月。。
雪が降る前に、まだ、弾いたことのないピアノのある場所も訪れてみるか。。
■中古ピアノの店(2024年9月21日)
今夏は、目標を設定しながら、近隣のテニスクラブで体を鍛え、ラリーを楽しんだ。
昨夜は、車で1時間弱の郊外にある宿に行って一泊し温泉で体を休め、そこにあるグランドピアノを弾かせてもらい、脳も再充電だった。今朝は、その近くのピアノの店に行って、修理された中古ピアノを多数、弾かせてもらった。使われていくうちに良い音がでるピアノもある、とのことだった。館林の駅ピアノの様に、100年経っても愛されているピアノもある。数百年、愛されて、来世で再会することもあるのかもしれない。。
山形で生活していた頃、切り倒されて放置されていた大木にであったことを、ふと思い出した。樹齢は100年くらいで、直径50㎝ほど、長さが2mくらいだったと思う。まだ、水分が多く、重い大木だった。そのまま、くち果てさせるのは忍びない思いに駆られ、譲りうけて仕事場に運んだ。囲炉裏や餅つき用のうすをつくろうと考えたからである。屋内に置いて1年ほど経過した時にふれてみると、軽々と持ちあげられたことも思い出した。ピアノに使われている樹木も、長い年月を経て水分が抜け、それが音質に影響するのだろうか。。
私の愛車(走行距離9万㎞)は、いろいろな部品の交換・修理をしながら現役で活躍してくれているが、まだ、製造から20年ほどでしかない。。エンジン車はメンテナンスすれば100年以上、もつものがかなりあるはずだ。新車の製造に使われる電気量とそれに比例?するCO2排出量のことも考えてみた方が良い。私達の身の回りの「様々なもの」のリサイクルも長期的な視点で考え直してみたいものである。。
ピアノ職人の熱気を感じる時間でもあった。。
■韓国ドラマの主題曲(2024年9月23日)
この半年に独学で4曲、ピアノで弾けるようになった。初級の楽譜だが。。そのうちの3曲はXJAPANの曲、4曲目は、韓国ドラマ「春のワルツ」の主題曲のひとつで「Love Poem」という曲である。この曲をピアノで弾いてみたいと思って、10年程前に、激安の卓上電子ピアノを買ったが、仕事が忙しく、今春ようやく使い始めた。まず、右手だけで弾いて録音し、それを再生しながら、左手のパートを練習すると比較的短期間にマスターできたのである。
韓国ドラマは長編のものが多いので、あまり見れなかったのだが、韓国人の俳優の感情移入・表現が素晴らしいこともあって、このドラマだけは見てしまった。奇跡の再会が一、二年程度の間に2回あるストーリーである。。
■テニス(2024年9月23日)
学生時代の数年間、テニスクラブ(サークル扱いだったが、数名はプロ級?で体育会レベルの仲間がいた集まり)に所属してきた。目的は基礎体力の維持・向上で、勝つことは二の次だった。勝とうとする気持ちでやると仕事(研究)の方に力が入らないと考えたからである。
ただ、プロ級?の仲間の打ち方は無駄がなく、とても美しいので、まねしてきた。半年くらい前から再開したが、その時の経験が土台として生きている。今は、勝つことを意識しているからだ。還暦を超えた脳の活性化のために、目標設定すること(勝とうとすること)は重要らしい。
■新たなメロディー(2024年9月27日)
学生時代、運動はテニス、趣味は絵を描くことだった。絵を描くことは楽しいというよりはむしろ面白い、と感じて来た。一方、心地よい音楽を聴くことは楽しいと感じて来た。なので、いつか、ピアノが弾けたらなあ、と思ってきた。
半年くらい前から、既存の音楽を4曲、そこそこ、ピアノで弾けるようになったところで、先日、私の頭に、独自のメロディーの一節が湧いてきた。急いで、自宅の電子ピアノで弾いて、そのメロディーを紙に書き留めた。このまま、一曲分のメロディーが湧いてくると良い、と期待している。
10年くらい前から心地よい音楽を生み出す人工知能の研究をしてきたが、まだ、道半ばである。私の脳が新たな音楽を生み出せるようになれば、その人工知能も生み出せるのかもしれない。。
■囲炉裏での談笑(2024年9月28日)
この数か月、還暦後の生き方について書いてみたが、若い読者(40歳以下?)は興味がわかなかったかもしれない。なので、ちょっと、補足しておく。
昔は、多くの家に囲炉裏があり、それを、祖父母、父母、子供、の三代が囲んで、食事をしながら談笑した。そこでの祖父母のいろいろな話は、孫にとって、その後々の人生に重要な意味を持ったはずである。聞いたときは印象深くなくても、頭の奥のどこかに残っていれば、年を取ってからふと思い出すことがあるはずだから。
今は核家族化が進んでしまっているし、囲炉裏もない。なので、この私のささやき・つぶやきは、囲炉裏端のおじいちゃんの話と思って聞いておくと良い。
■テニスの目標(2024年9月28日)
テニスでは「勝つ」という目標設定をした。どこで勝つのか。数か月前から所属しているテニスクラブでは、来月、シングルスの勝ち抜き戦があり、その中で、60歳以上だけの大会がある。それに参加し、三位以内、を目標にしようとしたのである。ところが、その試合の日は、孫と会う日と重なっており、結局、この大会には出れないことになった。。
このクラブの会員は70歳以上の方も多く、週に何日もテニスをしながら、ときどき休憩時間をとって井戸端会議も楽しまれている。なので、私の10年後の話相手も多数見つかりそうな気がしている。少なくとも、10年後のテニス・雑談仲間を増やす、という目標はたてられそうである。(今春から、大学時代のテニス仲間との旅行にも参加し始めた。)
ピアノでの仲間つくりはまだ、見通せていない。
■時代(2024年9月30日)
最近のネット音楽配信は、その人が聞きたそうな曲の候補を、毎日のように見せてくる。中島みゆきの「時代」がリストに上がってきた。若い頃の私の心にもしみ込んできた曲のひとつである。この曲をきいていたら、最後に、「生まれ変わってめぐりあうよ」というフレーズが出て来た。「来世での再会」である。。
中島みゆきが言うんだから、やはり、来世はあるのだろう。。。
■5曲目(2024年10月1日)
ネット音楽配信システムが、また、次に演奏したくなる曲を提示してきた。狂想曲というジャンルらしい。
数か月前から、週末、近くのそこそこ大きなホテルにあるグランドピアノを弾きに行くことが増えた。そこで食事をとるかパンを買って、その代わりに弾かせてくれている感じになっている。演奏時間は10分程度。私の演奏を聴いていた人が「次に弾く曲は何ですか?」と聞いてきた。5曲目が弾けそうになったら、また行こう。。
■スタインウェイ・サンズのピアノ(2024年10月3日)
今まで、日本製のグランドピアノばかり弾いてきた。ドイツのグランドピアノも弾きたいと思い、探していたところ、ようやく見つかった。車で二時間弱だが、近いうちに弾きに行ってみたいと考えている。。
■ピアノの演奏の限界?(2024年10月10日)
5曲目を演奏しようとして、つまずき始めた。5曲目を覚えるにつれて、既に弾けるようになった4曲の演奏で間違えが増えてきたのである。個人差はあると思うが、両手で弾くために、脳はかなりのエネルギーと記憶領域を使っているのかもしれない。
食前に弾くと間違いが多く、食後に弾くと意外と間違いが少ない感触も得たので、やはり、脳にかなりのエネルギー供給が必要だとも感じた。
考えてみると、プロ?のピアニストの生演奏の時間は数十分程度のことが結構あり、その演奏後に、数十分以上の休憩をとっている。
左右の手で異なる作業を同時に行うための脳の指令メカニズムはどのようなものなのか?
■山形の樹齢1000年の桜(2024年10月15日)
西暦2000年の3月末に家族で山形に移住し、4月に、米沢にある山形大学工学部の助教授として着任した。1000年の大きな節目に転職、移住することを不思議に思いながら。。その数週間後のある夜、米沢から車で30分程度の長井にある「樹齢1000年の久保桜」を見に行って、その巨木の姿に引き込まれた。1000年前に生まれた巨木と自分が同じ時間、同じ空間にいる不思議さを感じたのだった。
3600年後?の来世があっという間にくる、と書いたのは、こんな経験も影響しているのかもしれない。
■書き出し方(2024年10月27日)
若い人達や友人等が、悩みを持っている場合、「頭に浮かんでくることをできるだけ全て、紙に書き出すとよい」と繰り返し言ってきた。書き出せば、悩みを忘れてもよいことになり、頭の中で堂々巡りしなくて済む。忘れたら、書き出したメモをみればよいからである。すると、頭の疲れが取れて、リラックスできる。その後、何日も経ってから、ふと、良い案が浮かぶことがけっこうあることを私が体験してきた。
これは、私の父に子供の頃から言われ続けてきたことである。大学生になったころまでは、「説教」だと感じて頭の奥には入らなかったし、面倒でもあり、なかなか、これができなかった。「文字にすることなんて、小学校以来、毎日、やっている。日記にも書いている」と思ったからだ。だが、人間関係で深い悩みになったとき、無意識にとことん、自分の思いを書き出したことがあり、その直後に、何でも話しができる人に悩みを聞いてもらったら、しばらくしてから、ふと、目の前が開け、人生が見通せる考え方が浮かんできた。
その後、書き出し方も工夫ができるようになっていった。書き出した中で、最も重い悩みは何か、を考え、それに〇を付けるのもひとつである。年表にして書き出すと大きな効果があるときもある。書き出した後、しばらくは、それを忘れ、リフレッシュしてから、そのメモを見て考えていくのである。
書き出すのは、もちろん、悩んでいる本人が書くのが一番良いが、悩んでいたるのを、そばで見ている人が悩んでいるケースもあるので、その場合も同様である。
■素晴らしいCafe(2024年10月27日)
昨日の昼、素晴らしいCafeに出会った。テーブル数は10程度の小さな空間だが、総ガラス張りの屋根が、地面に対して大きく傾いて地面まで到達しており、そのガラスの面を、白いカーテンが覆っているCafeである。
そこでだされる紅茶がまた、素晴らしかった。
悩みを書き出したら、こんなCafeでリフレッシュするとよいだろう。
また、訪れてみたい。。
続く