つぶやき・ささやき(2024年4月から)

■来世のために現世を生き抜く(2024年4月16日、7月2日改変)

還暦を迎えた一昨年あたりから、徐々に、来世、についても考えるようになった。

瀬戸内寂聴が話したこと

https://news.1242.com/article/134025

は印象的である。「来世のために現世の修行があると考えれば、苦しいことも受け入れられる」というような内容だと思う。

修行、ではつらい。

私は

「来世で会いたい人がいれば、来世で再会するときのために、前向きな気持ちで、現世で自分を磨いておける」と考えている。

どんな人と来世で再会したいのか。自分の身の回りで「亡くなられた際などに、涙が止まらなかった人」というのが、私の中の定義の一つである。

来世、はないとしても、現世で自分を磨く姿勢を示せば、その姿勢を見た次代の若者達の心のなかに勇気とエネルギーが宿ると期待している。更にいえば、相談、激励、アドバイス等によって次代を育てる努力をすることが「次代に希望を託すという形での来世」を生むのではないか、とも考えている。

■木の葉(2024年4月17日)

昨夏、自然の豊かな場所にドライブして、駐車場に車を止めた。その駐車場の端には、たまたま、たくさん葉をつけた大きな木があり、私の車に木陰をつくってくれていた。CO2排出量を抑えるためにエンジンを止めて、窓を開けた。すると、ふと、何かが私の目の前をよぎり、助手席に目をやると、小さなかわいい形の木の葉がひとつ、舞い降りていた。

私の車の窓ガラスが重力方向に対して傾いているために、無風の時でも、大樹から舞い降りた葉が車室内に入りやすいのだ。

この木の葉の緑色が鮮やかだったので持ち帰ったが、ひと月ほどたってみると、かなり、色がかわっていた。この緑色がなくなる前に、あの駐車場の大樹のもとに戻してあげたくなった。

木の葉は、毎年、生まれ変わる。

木の葉には、毎年、来世が来る。落ちた葉の成分が、その木の根に吸われ、水とともに枝まで運ばれていくからだ。

人間にも来世はあるはずだ。

人間も木の葉も、5種類の塩基と20種類ほどのアミノ酸と水、からできているのだから。

.

■4つの来世(2024年5月15日初稿、26日改変)

前月半ばに、来世についての私の考えを記した。少し視点を変えて整理してみると、来世のための準備の形は3つある。

(1)一緒に生活している家族や仕事の仲間との関係:瀬戸内寂聴が言ったように、来世のための修行という側面があるかもしれない。

(2)次代の若者達との関係:相談、激励、アドバイス等によって次代を育てる努力をすることが、「次代に希望を託すという形の来世」を生む。これは自分自信の生きがいにもなりえる。どのような仕事をしていても、どのような社会に所属していてもできることだろう。

(3)来世で再会したい人がいる場合:来世での再会の準備として、自分を磨き・鍛えることで、現世を充実して生き抜くことができる。若者達も、その姿勢を見て、勇気とエネルギーを得るだろう。

「4つ目の来世」は、

孫との関係

である。孫とは、ときどき会うだけで、幸せな気持ちになれるであろう。自分の生まれ変わり、と感じることもありえるから、来世そのもののように思えるかもしれない。

ただ、健康な状態にいる人間は、「日々、様々な人達と時間を共有しなから、常に苦しい思いの中で、本能的に、前のめりで体当たりして生き抜いていかざるを得ない」と私は考えている。

■「還暦後の新たな人生」という「5つ目の来世」(2024年5月23日、6月21日改変)

還暦、は文字通り、二度目の人生の出発点である。60歳を過ぎた「自ら」は「5つ目の来世」といえるだろう。

職場、宗教、等の枠の縛りから解き放たれて、新たで自由な世界に放り出されることが増えるのかもしれない。還暦を過ぎると、子供は一人だち状態に近づくし、孫だって自分の意志で動き出す。それらも、新たな世界に踏みこむことを助長するかもしれない。

私は一昨年、還暦の節目を迎えた。還暦前までと比べ、いろいろな面で変わりつつある、と感じはじめている。毎日、グランドピアノがある部屋に行くようになったのもそのひとつである。10分程度でしかないが、そこでその日を生き生きと過ごすためのエネルギーをいただいている。

新たな趣味、ボランティア活動、学生時代の知人との再会などで、新たな世界に入ることも良いのだろう。

ただ、還暦以前の人達との繋がりが薄まるわけではなく、維持・発展させた状態に、「新たな2つ目の人生という来世」が添えられるといった形が多いのかもしれない

■グランドピアノの天板を開いて(2024年5月24日初稿、6月3日改変)

数日前から、グランドピアノの天板を開いて弾いている。鍵盤の打ち間違えはほぼなくなったので、今度は、音色をしっかり聞きたくなった。天板を開けて弾いた際に放たれる音は素晴らしい。

還暦を迎えたら、みずから、自分の人生の天板を開くチャンスである。心の扉を開けば、苦しいことやつらいことを遥か彼方に消しさり、「5つめの来世」を豊かにできる。

大隈重信は人生125歳説を提示していたようだし、健康寿命が100歳になる可能性が出てきているようなので、そうなると、還暦後の5つ目の来世は40年間以上になる。。。心の扉を開いてストレスフリーに近づくと、元気な長寿を得られるのかもしれない。

孫も、「還暦を超えた祖父母が、5つ目の来世を謳歌し、元気で長生きする姿をみていたい」と思うだろう。

私は、孫に「おじいちゃん」と呼ばれたくもない?! 生涯、青春である。そうあり続けるために、着実に鍛え・磨き続ける。

■五輪の花と五人家族 (2024年6月18日&22日)

考えてみると、初夏から真夏(5月~8月)は、自分の人生にとって、心を揺さぶる重要な経験が多かったように思う。

42年くらい前、学部3年生の初夏は人間関係に悩んでいたのだが、山岡荘八の書いた歴史小説「徳川家康」に出会い、のめり込んだ。単行本で全26巻になるこの本は私にとって人生のバイブル、と言っていい。冒頭で、家康の生母、おだいの存在に感動し、中盤では、石川数正の自己犠牲が社会を生き返らせることも学んだ。読み終わった直後は、何故、家康の東照宮が日光なのか、が気になり、調べたこともある。江戸から日光を直線で結ぶと、その先に不動の守護星である北極星があるからだ、という説に出会った。その北極星と江戸の間で、しかも、日本の中央に位置する日光が日本を守る、ということらしい。私達は皆、つらい時、苦しい時に、星を見て心のやすらぎを得、星に願いをかける。そのことを思ったら、日光に設置されたことについて自然な共感が芽生えてきた。戦国時代に熱く生きた人達の生き様に触れ、少し大人になり、自分に少しづつ自信が付き始めた。だが、3年後のM2の初夏は、就職先とその後の人生について、深く悩み、考えることになったのだった。。。。。

32か33歳の頃(30年ほど前)だったと思うが、ドイツの大学に招聘され、3か月間(6-8月)、アーヘンに単身で行って滞在した際にも、自分の内側の世界が広がる様々な経験をした。ドイツの食事があわず、食が仕事(脳・精神状態)に与える影響の大きさも実感した。その際、私の世話をしてくれたドイツの親友とは、かれこれ、40年近い付き合いになっている。

考えてみると、20年位前、10年くらい前の初夏から真夏も、大切な節目の時期だった。

20年くらい前は、米沢で自然のエネルギーをいただき、生命とは何か、という問題に対して重要な一里塚となる成果を得て、いくつか論文を書いた。

12年前の2012年6月18日には、ドイツの親友の家に招待され、その家族が夕食の準備をしてくれている間、その庭に咲いていた五輪のペチュニア(アサガオ)の絵を描いた。その親友に「食事の支度の間に、絵でも描いていてくれ」といわれたからだった。

私にとって大切な人の家族は五人であることが多いという思いも浮かんできた。その親友の家族も五人(五輪)だった。亡くなった恩師の家族もそうだったし、私も三人兄弟なので五人家族だった。。。。。

この頃、飛躍的な性能のエンジン(ほぼ完全な断熱で、かつ、燃焼騒音レベルを上げずに圧縮比/圧力比を上げられる原理)の特許を出し、人の脳に関する研究成果も発表したのだが、それらをドイツの恩師に見せたところ、興奮して感動してくれたことを思い出す。「どのようにして、そんなアイデアをいくつも思いついたのか?」と聞かれ、英語での返事に困ったことを思い出す。

10年おきに、何か来ている。

昨夏は、還暦後の40年の方向を探る貴重な数か月となった。もうすぐまた、暑く心を揺さぶる真夏がくる。カルノーサイクルの高温時のような。。。その後の秋は、断熱膨張行程で実り(仕事・成長)を得るであろう。真冬の低温時までしっかりと。。カルノーサイクルのように、今年の夏が熱いほど、そして、冬が寒いほど、熱効率は高く、実り・成長も大きなものとなるはずである。

熱効率η=1 ‐ [TL(最低温度)/TH(最高温度)] であり、高効率は同時に、高出力をも意味するからである。

そして今冬から次の春までは、カルノーサイクルでいうと低温時の圧縮期間であり、来夏のための準備期間となる。エンジンには周期運動サイクルがあり、生命には輪廻があると言われる。

人生はエンジンである

.

■孫は来世か?(2024年6月22日)

4つ目の来世?、つまり、自分にそっくりな孫について、ふと、気が付いたことがある。孫と還暦を迎えた人は同じ時間を過ごしていることである。つまり、孫は来世の姿ではない、ということだ。700年後に生まれ変わった人のことを検証した本を、ごく最近、知ったからである。

現世で経験したことの記憶が次代以降のDNAに組み込まれる可能性があるという研究もあるようだし、生まれ変わる、という推測は、今後の100年位の間に、科学的に解明される予感がする。

だから、「来世のために、現世で自分を磨く」のは、空回りではないと思うのだ。私達は、過去の常識から脱皮すべき時に来ている。

.

■青春(2024年6月24日)

我が成長のために、真に時間に耐えうるものを求め

愛すべき僕らみんなの未来のために、叡智を尽くし

孤高の魂を謳歌して、来世のために現世を生き抜く

.

■ピアノという生命(2024年6月28日)

この半年ほどの間に、ピアノで2曲、弾けるようになった。一つ目の曲は、若い頃に分かれた後、奇跡の再会を経て夢がかなうドラマの主題曲である。二つ目は「久遠」を連想させる曲である。主な練習は毎朝10分程度、自宅の小さな電子ピアノでしてきた。そこそこ、弾けるようになってから時折、3種類のグランドピアノで弾いてきている。3つのうちの2つは、Y社のGシリーズ、と、Cシリーズ だが、同じメーカーでも音質に大きな差異があることが弾いてみて初めてわかった。Gはうっとりするようで包み込むような音色、Cは若々しく高音がつややかな音色に感じた。ピアノにも個性がある。(Gシリーズは、人工心臓の研究をされてきた先生が、数十年前の退職時、職場に寄贈されたものである。)3つめは、Viregeというピアノである。

ピアノという新たな生命に毎日会い、10分程度だが、そこで私はピアノと会話をし、ピアノから力をもらっている。。。

■来週の数日間は大自然の原野の中(2024年6月28日)

大自然の澄んだ空気を突き抜けて、天の川と北斗七星の輝きがみえるかな?

■脳と体の鍛えなおし(2024年7月4日)

先日、仕事で、東京と北海道間を新幹線で移動した際、3か所で、駅ピアノを弾くことができた。ひとつは、K社製のグランドピアノ、もう一つは、Y社製のグランドピアノG2とアップライトピアノだった。これらもまた、個性があった。しかも、駅は天井が高く、広い空間があるので、音の反響が良いこともわかった。

駅だけでなく、あちらこちらにフリーで弾けるストリートピアノがあることもわかってきた。これらを弾いて脳と手先を鍛えながら旅をすることも楽しそうである。

体の方は、数週間前からオートテニスを減らしたが、代わりにテニスコートでの鍛えなおしにレベルアップしている。

■山形のラフランスとデンマークの食材に学ぶ(2024年7月4日)

2000年から5年間、米沢で生活していた間に、ラフランスをたくさん食べた。東京では高価な果物だが、山形では大きさや形などがふぞろいのまま、スーパーで山積みにして売っているせいか、かなり安いからである。もちろん、その味は素晴らしい。この経験は私に、「美味な食材で多くの人達を幸せにできる」ことを教えてくれた。山形では、これ以外にも農業牧畜や食について学んだ。

2010年頃、デンマークに学会発表に行った際、その飛行機の機内食で「この世の食べ物とは思えないほどの素晴らしい味」に出会った。この経験は私に、今後もまだまだ、新たな食・大進化した食が生まれる予感を与えてくれた。

この2つの経験を元に、次代の多くの人達を幸せにする新たな食の研究(7つ目の仕事)を始めた。古今東西、食の不足は争いのもとだからだ。

■来世における再会の目的(2024年7月6日)

以前、「来世で再会したい人がいれば、前向きな気持ちで、現世で自分を磨いておける」と記した。ではなぜ、来世で会うのか。会いたいから会うというより、再会して協力することで、社会の発展と平和への貢献が更に加速できる。

■3曲目(2024年7月11日)

2月から独学でピアノの演奏を始めて、4か月程度が経過した。3曲目は一週間程度でほぼ弾けるようになった。来週の月曜日の11時半くらいにグランドピアノのある学内の部屋で小さな演奏会をする。。

■超長期的視点(2024年7月12日)

数年前、このHomePageを書き始めた頃、時計の短針と長針のように、2つのタイムスパンで目標を持つべきだ、と記した。研究でいえば、数か月から1年程度の時間に確実に達成する短期目標と、数年から10年程度の大きな長期目標(夢)、である。

この数か月間にここに記した「5つの来世」は、長期的目標(超長期的目標?)のためのものと言える。

■還暦後の教会(2024年7月12日)

私は無宗教だが、海外出張した際は様々な教会を訪れてきた。昨年、都内の大きな教会に行ったことがある。たくさんのステンドグラスから入る光が、部屋の中央に集まるように配置された美しい教会で、日曜日の礼拝には、多くの国の人達が来られていた。大きな教会なので、高齢の方々の集まりが別に設けられてもいて、多様な視点から、寛容なこころで、人々を見守る場所だと感じた。

■靴と紐(2024年7月12日)

今日は一日、古くなったもののトラブル対応に追われた。製造から20年程度経過した愛車のドアのオートロックが効きにくくなって、ディーラーに持ち込んだ。明日の夜まで車は使えない。

歩いていると、10年程度履いた夏用の靴(かかとを押させる部分もついているサンダル)の底がいきなり外れ、はだしで歩くことになった。足の裏が黒くなり、ガラスの破片でも踏んだらどうなるか、と不安になったところ、ふと横をみると郵便局。局員さんに泣きついて、古くなったスリッパかなにかないか?と聞いたところ、郵便物を縛る紐をくれた。わらのような茶色の細い紐である。文字通り、藁にもすがる、だ。ところが、この紐、なかなか頑丈で、家まで帰ってこれた。まだ、結構、履けるかもしれない。

私は60年を超えたわけだが、体を鍛えて、ミオシンとアクチンの紐を新たに加え、あと、40年、元気でいようとしている。

■超長期的視点の書き直し(2024年7月16日)

7月12日に書いたことを思い出していたら、ふと、更に気が付いたことがある。短期目標、長期目標、超長期目標という3つは、時計で考えてみると、秒針、長針、短針に相当するのではないか、ということである。

秒針と長針の時間スケールは60倍、長針と短針の時間スケールも60倍である。仮に、時計の一秒が、人生の一年に相当するとすれば、長針は60年でちょうど還暦に相当し、短針はその60倍なので、3600年になる。これは6月22日に書いた「来世までの時間(700年)」に近いオーダーである。。こじつけだろうか。

いずれにしてもやはり、人生は3つの針で考えていくべきではないだろうか。そうすれば、還暦後の人生を更に活性化でき、人類の進化と発展を加速できるからだ。

3600年くらいは、生命誕生から現在にいたる進化や宇宙の始まりから現在までの時間に比べ、10万分の1以下の短いものである。眠っていれば、3600年など、あっという間のことだろう。

■ベガ(2024年7月18日)

七夕を過ぎて11日目になる。ふと、七夕の日に会う織姫のことが気になり、ネットで調べてみた。

織姫星は、こと座のベガ、という星である。私の父親が母親のことを、ベガ、と呼んでいたことを思い出した。父は、母を、織姫、と呼んでいたことになる。毎日、一緒に生活しつつ、毎日を、七夕にように思って大切にしていたのかもしれない。

更にネットで調べてみると、この星(こと座のベガ)は、1万2千年後には北極星になるらしい。天空の基軸になるということである。

私達の来世が3600年周期で繰り返すとすると、来来来世あたりのことになる。。。

なお、私の名前は健であり、生まれたのは牛どし、つまり、牽牛(健牛)である。。。

彦星、だ。

■北極星としての父(2024年7月19日)

父は、織姫星を母、彦星を私、として、毎日が七夕、と考えて生きてきたのかもしれない。。。だとすると、父は天空の基軸、つまり、北極星、のようである。

けれど、北極星も永遠に基軸ではなく、1万年後には不動ではなくなる。90歳を超えた父もまた、永遠の生命を持っているわけではない。。。。。

■だからこそ(2024年7月21日)

だからこそ、私は、織姫星と彦星を含め、はるか彼方の星々に楽に行けるエンジンの研究を進めている。放射線を出さない原子核反応エンジンである。そのエンジンを搭載した機体で長い航行をする間には、健康を維持できないとならない。また、その星々に住む生命が、5種類の塩基と20種類のアミノ酸で構成されているのか、知りたい。だから、生命医学研究を進めている。

私達は、なつかしい故郷のような星々を追い求めている。。

■家族(2024年7月27日)

私達は皆、果てし無く広大な宇宙という森の中で生きる家族なのであろう。。

続く